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いちばんだいじ


 目的地に着いた電車が停まり、降りようとするとミントガムの匂いが鼻をくすぐったのでつい立ち止まってしまった。週末の終電はひどく込み合っていて、後ろから来た人の波に押されて足元がふらつく。小さく謝りながら扉を出つつ匂いのした方を覗き見たが、どこから漂ってきたのかは捕み取れなかった。

 ホームの中央まで進んで人波から逃れ、電車に向き直る。いつも通りの単調なアナウンスと足音、それから扉の閉まる音。電車は走り去り、早足の乗客たちはさっさと改札へ向かって、私はひとりぼっちになった。

 まさかね、と思ってはいるのに、しばらくそこから動けなかった。走り去った電車の中にも、降りた乗客の波にも、彼の姿は見えなかった。でも込み合っていたし、見落としただけかもしれないし、とうだうだ考えていたが、もし乗り合わせていたとしても今更伝えようもないことに気づいて落胆した。彼の連絡先は、前に使っていた携帯を水没させてしまったときに消えてしまった。

 ミントガムなんてありふれている。他県で働いているはずの彼だったわけがない。そもそも彼がいたところでどんな顔をして会えると言うのだろう。もう何年も前のことを引きずっているのは私だけだろうに。きれいに忘れて日々を謳歌しているはずだったのに。

 駅から出ると、すぐ目の前に見知った顔があった。

「よ、お疲れ」

 そうだった、今晩は会う約束をしていたんだった。そんなことも忘れて感傷に浸っていた己を恥じた。待たせてごめんとか、そっちもお疲れさまとか、いつもの言い様が頭に浮かんだが、私の口から出たのは別の言葉だった。

「……ガム、噛んでる?」
「ん。よくわかるね。匂いする?」

 口を開く彼からは紛れもなくミントの匂いがした。

 私は反射的に襲いかかり、首をつかんで引き寄せると、その口に舌を差し入れて噛みかけのミントガムを奪った。口には甘やかなミントの風味に混じって、煙草の苦味が広がった。そのまま少しもぐもぐと口を動かし、体を離すと、ガムを奪われて空になった口をぽかんと開けている顔がこちらを見ていた。

「禁煙しようとしてる?」

 え、ああ、うん、と戸惑ったままの声が答える。私は素知らぬ顔をして、いいね、と言った。煙草は嫌いだ。

「他のガムがいいな。フルーツ味のやつとか」

 照れてはにかんだ恋人は、何か勘違いをした様子で私の肩を抱いた。にやけて引き寄せ、髪に口づけしてくる。

「ミント嫌いだっけ? 知らなかった。まあ、おまえの嫌がることならしないけどなー」

 嫌いじゃなくて、一番大事なのだとは伝えなかった。伝えることさえ惜しかった。

 ありがと、とだけ言うと薄まったミントの匂いが私を包み込んだ。私は二番目の恋人の腕の中で、ごまかすようににっこりと笑った。







  了








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