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delicious days


 瑞々しくて肉厚な葱をじゃこじゃこと刻む手応えを楽しみつつ、私は夕餉の仕度を整える。新鮮な野菜は美味しいだけじゃなく、目にも耳にも賑やかだ。まな板に転がるきれいなわっかをかき集めて鍋に放り込む。くつくつくつくつ。いつも感じることだけど、台所はお腹の空く音で満ち満ちている。

 そうしてすっかり出来上がった食事を一旦おいて、私は居間に戻った。携帯電話をちょっといじって、テレビをつける。ちょうどバラエティ番組が始まるところで、私はローカロリーの飴だけ口に放り込んで夜が更けるのを待った。この時間が一番退屈で、つまらなくて、とはいえテレビに笑ったりしつつ、まあそこそこの気分で過ごす。メールの返事はなし。まあ慣れたものだ、元々あまり筆まめな相手でもない。連絡はきちんと入れるから、許してあげよう。

 夕暮れ過ぎて、電灯とテレビの明かりで満ちた部屋は、いつも通りの風景で、少しねむたい。一人で帰りを待つのにも慣れてしまった。でも今日は少し、そう、ほんの少し、心臓がいたい。



 ゆらりゆらと暗闇が揺れて、重たい瞼を持ち上げる。ごつい手が私の肩を揺すっていた。

「風邪ひくぞ」

 ぶっきらぼうな低い声。体を起こすと、テーブルに突っ伏してうたた寝していたらしいとわかった。結局私のどきどきなんてそんなもんか。んん、と唸りながら欠伸を噛み殺す。スーツを目一杯に広げた大きな体におかえりを言いながら、私は台所へ向かって、出番を待ちわびた夕飯の仕上げに取り掛かる。時計を見ると、もう深夜に差し掛かる頃だった。

「先に食ってれば良かったのに。遅くなるってメールしたろ?」
「ん、でも今日は、と思って」

 安いコンロが、こかかかか、と鳴いて、やがて火がともる。目が覚めるにつれて、急激にお腹が空いてきた。今ならこのお味噌汁の匂いだけでご飯が食べられるに違いない。熱せられた鍋の中で、お豆腐がぐるぐる踊っている。

「それから、これ」

 上着を脱ぎ、ネクタイを外した彼が、後ろから手を伸ばしてきた。真っ白いレースのような箱。いつも思うことだけど、なんてわくわくする形をしているんだろう、この箱は。

「生クリーム?」
「そう、生クリーム」

 見た目を裏切らない中身だ。私は丁重に箱を受け取り、冷蔵庫に仕舞った。開けるのは、後のお楽しみにとっておく。少なくとも彼は私の好みを覚えているようだから、大いに期待させてもらおう。

 温め直されて本領発揮とばかりにいい匂いと湯気を立てる食事をテーブルに並べる。今夜のメインは肉じゃがだ。私たち二人にとって、最強のご馳走だったりする。ぐう、と彼のお腹が同意の返事をした。窮屈な格好から部屋着に着替えて、すっかりリラックスしている。向かい合わせに座って、揃いの箸を持って、いただきます、と声をそろえる。こっそりと、私のお腹も鳴った。

「仕事前に出してきたけど、なんか拍手されたよ」

 珍しく、私から話を振る前に彼が喋った。食事のついでのように、しかし照れくさそうにはにかんでいたのを私は見逃さない。

「やっぱり、そういうもんなんだ。貰いに行った時も、おめでとうございますって言ってくれたよね、受付の人」
「うん、そういうもんみたいだな。ちょっと、あれだ、もう少し静かに祝ってもらいたかったけど」

 さぞかし恥ずかしかったのだろう、首の辺りをむずむずと動かしながら言う。一緒に行けたら良かったのだけれど、あいにく私も今日は仕事があって無理だったのだった。とりあえず、七年前の今日に付き合い始めたことを思い出して、無事に届けを出せたことに安心する。やっぱり今日にして良かった。特別な日は、たくさんあるのも悪くはないけど、すごくすごく特別な日が少しある方が私たちの性には合っていた。

「ご飯、美味しい?」
「うん、うまい」

 たまにはこっちから聞く前に言って欲しいな、と思うけど言わない。ご飯一粒、お味噌汁一滴として残さないんだからそれで充分だ。聞けば応えてくれるし。



 夕飯をぺろりと平らげ、珍しく食器を洗ってくれる彼の好意に甘えつつ、食後のコーヒーを淹れる。今日はちょっと手間をかけて、ちゃんとサイフォンで淹れることにした。香ばしい匂いに、自分には別腹があることを自覚させられる。

 こぽこぽという耳にこそばゆい音を聞きつつ、冷蔵庫から恭しく純白の箱を取り出す。すっかり高鳴っている胸を落ち着かせることもせずに、全力でわくわくしながら箱を開けると、期待通りの佇まいがあった。ふわふわのホイップクリームと、きらきらした苺。二人用の小振りなホールケーキだ。ここのお店のショートケーキは美味しい。本当に美味しい。ただのショートケーキと侮るなかれ、ほんのりと洋酒の匂いの漂う上品なケーキなのだ。百点満点、と思わず噛み締めるように呟く。すぐ隣で彼が満足そうに微笑んでいるのが見えた。

「あれ、やるか」
「あれって?」
「ケーキって言ったらさ、やっぱりやっとくべきだろ」

 洗い物を終えて食器を片付ける彼が、そのまま食器棚から食事用の細いナイフを取り出して見せた。

「……初めての共同作業?」

 思わず笑ってしまう。なんてらしくない、思い切ったことをしてくれるんだろうか。この上なく恥ずかしいけど、悪い気はしないくすぐったさに襲われて、私はうーっと首をすくめた。

 二人で並んで、一緒にナイフを握る。その手の薬指にはささやかな指輪がひっそり光っている。まだ手には馴染んでいない、きっとこれからじっくりと馴染んでくる、光の輪。ショートケーキの生クリームが、その光を反射する真っ白いレースのように見えた。

「俺なんかと結婚してくれてありがとう」

 ナイフを差し入れる瞬間、彼が小さくそんなことを呟いた。

「こちらこそ」

 そう返事をすると、自然と顔が近付いた。瞼を閉じながら、こんなのもいいなあと思う。お金がないから式も挙げられないけど、思っていたより、ずっと、悪くない。

 改めて目を開けて見ると、彼は目一杯照れくさそうな、子どもみたいな笑顔を浮かべていた。

「ベールがあったら完璧だったなあ」

 そんなことないよ、と口の中でこぼす。お金がなくて、愛想がなくて、周りの皆には何がいいんだかとからかわれたが、私にはとびきりだから、完璧で満足なのだ。それを言うには、さすがに、照れくささが邪魔だったけれど。







  了










*サイトアクセス1122hits リクエスト作品
  御題 「とうとう夫婦」、「お豆腐」

やでお様、1122ヒット報告ならびに御題提供ありがとうございました。
「お豆腐」の方が完全に脇役でした。食べ物の話にしたので大目に見てもらえるとこれ幸い。
それにしても、ずいぶんラブい話になってしまった……
やでお様の乙女センサー、反応しましたでしょうか?






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