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雨濡れの花嫁空は高く晴れ渡って涼やかな風が頬をくすぐっているというのに、唐突にざあざあと耳を叩く雨が降り出したので、女の子は目を丸くした。一年振りに遊びに来た祖父母の家は相変わらず珍しいものだらけで、退屈を忘れて遊び回っていたけれど、その中でもとびきり珍しいものに巡り会った気分だった。 「狐の嫁入りだね」 後ろからそんなことを言う声が聞こえたので、女の子は縁側に体育座りをしたままで首を巡らせた。 「おばあちゃん」 まだ片手で数えるほどしか会ったことのない祖母をそう呼ぶのは、嫌でこそないけれど、どこか落ち着かなかった。 「ずいぶん近い」 祖母はぶっきらぼうに喋る。低めの声は微かにしわがれてはいるものの、とても真っ直ぐで、女の子は密かに格好良いと思っている。 「きつねさんがお嫁に行くの?」 「そうさ。それで、悲しくなっちまって泣いてるんだよ」 祖母はそう答えると、雨戸を半分閉めて、女の子の隣に正座した。折り目正しく背筋をしゃんとさせている。着物の裾に乱れはない。女の子は真似をして、ちょっとわざとらしく、ちょこんと正座をしてみせた。 「お嫁に行くって悲しいことなの?」 「そういうこともある」 雨は一向にやむ気配を見せずに、ばたばたと地面を叩き続けている。 「狐は自分の嫁入りを人に見せたがらない。見られるのが嫌で泣いて、その涙が嫁入りを隠すんだ」 「どうしてきつねさんはお嫁に行くのを見られたらが……見られたがらないの?」 舌足らずな幼い孫に、小さく笑って、祖母は続けた。 「本当に一緒になりたいと望んでいた相手に嫁ぐんじゃなかったからさ」 「……好きじゃないのに、けっこん、したの?」 「狐は狐にしか嫁げない。惚れたのが人間じゃあね、報われっこなかった」 「……好きな人と、けっこんできなくて、泣いちゃうの?」 「そうだね、そうだよ。自分の嫁入りを、惚れ抜いた人には見られたくなかったんだ」 女の子は難しい顔付きになって、少し黙った。祖母の言うことを何とかして理解しようと、頑張った。頑張ったけれど、どうにもわからなくって、唇を尖らせた。 祖母は傍らの女の子の頭に手を乗せ、ゆったりと撫でた。 「いつかわかるよ」 「いつかっていつ?」 「もう少し大きくなったらね」 わかっちまう時が来る、と呟いたのまでは、女の子は聞いていなかった。ただ余計に唇を固くしてみせただけだった。 「おばあちゃん、お母さんみたいなこと言うのね」 その言い方があんまり蓮っぱなものだから、祖母は笑わずにはいられなかった。 「そうかい、似てるかい」 「そっくりよ。お母さんはもっと、わかりっこないってふうに言うけど」 「女なら、いつか、ちゃんとわかるさ」 そう言って、一層優しく頭を撫でてくれる手が今まで知らない温かさを帯びていたので、女の子はひとまず納得することにした。力強かったり温かいだけではない、とても静かで確かな手付きだった。 忙しない感情を持て余したように、女の子はふいに姿勢を崩した。慣れない正座のせいでゆらゆらとふらつきながら足を伸ばすと、そのままの格好で真っ直ぐに体をずらし、膝から先を縁側の外に出す。スカートから伸びた細い足の上で、滴が跳ねた。 と、それまでの勢いが嘘のように雨は上がった。さすがの御狐様も、幼子を濡らす気にはなれなかったらしい。 降り出した時と同じ唐突さに女の子は愉快になり、裸足のままで庭に下りた。水を吸った土は軟らかで、足をつけるとぴちゃりと沈んだ。女の子はますます喜んで、庭中をはしゃぎ回った。 「お母さんには、ないしょね」 祖母が頷いて返すと、女の子はひときわ晴れやかに笑って飛び跳ねた。 「おばあちゃん、だいすき」 満面の笑みでそんなことを言う女の子の姿は、祖母を満足させるのに充分すぎるほどだった。懐かしさに任せて考えを巡らすと、娘が生まれた時にも似たようなことを考えていたと気付く。きっと、それ以外にもたくさん。 自分の人生に間違いがあったとは、到底思えない。 「あたしも若かったねえ」 そう呟くと、かつての花嫁はすいっと立ち上がり、仏壇に線香を遣ろうと足を向けた。なんだか笑い方が自分に似てしまったと、ほんの少し申し訳なく、それよりはいくらか強めに誇らしく、思いながら。 了 *サイトアクセス800hits リクエスト作品 御題 「狐の嫁入り(天気雨)」 神無し様、800ヒット報告ならびに御題提供ありがとうございました。 手をつけるまではなかなかアイデアが浮かばなかったのですが、 いざ主人公を決めて書き始めたら、ぐいぐいと進みました。 自分としては珍しい主人公でしたし、貴重な感覚を味わわせて頂きました。 この気持ち良さがあるから、ものかきはやめられない。 return to contents... |