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七色ファミリア◇ ◆ 赤 ◆ ◇ おじいちゃん、と呼ばれるのに慣れたのは、あくまでも家の中でだけの話だ。呼び名が同じなのに感じ方が違うのは、きっと受け取る側の気持ちだけの問題ではなくて、込められた意味が違うのだろう。 「お孫さんですか、かわいいですね」 近くの公園は案外大きくて、ご近所と言うほどでもない人も多く訪れる。孫娘を連れての散歩中、かけられるそんな声。かわいいでしょう、何せうちの孫ですから。そんな台詞を飲み込んで、愛想笑いを返す。そちらもかわいらしいワンちゃんで。 「おじいちゃんとお散歩いいねえ、おじょうちゃん」 孫がいるのだからおじいちゃんと呼ばれてしかるべきなのだが、別にあんたの祖父なわけではない、とどこかで感じてしまう。そもそもまだ仕事もしているし、携帯電話だってパソコン問題なく扱えるし、上の孫とはテレビゲームで対戦してたまには勝つこともある。髪に白いものは混じっているが、決して薄くはないし、そこは間違いないし、こうして孫と外に出て遊んだりする体力もある。 それなのに、まったく、世間というものは世知辛い。六十を前にして年寄り扱いとは。 「じいちゃ」 ああ、それなのに、孫娘が呼ぶと同じ言葉なのにどうしてこうも愛らしいのか。 「すべりだい、いく」 小さな手に引かれて進もうとすると、こちらの顔を見た孫娘が首をちょこんとかしげて聞いてきた。 「じいちゃ、げんきない?」 ああ、なんて優しい子だろう。 「いやいや、大丈夫。いっぱい遊ぼう」 そう、もうしばらく遊ぶとしよう。ちょうど家には帰りたくない気分だし。 ◇ ◆ 橙 ◆ ◇ 娘と散歩に出ていた義父は夕方近くになって悠然と帰ってきた。思っていたよりもねばってくれた。こちらとしては今は助かる。 「おかえりなさい。お夕飯、もう少しかかりますから、テレビでも見て待っててくださいね」 そう言って台所に戻り、今さっき買ってきたばかりのお総菜を袋から出す。間に合って良かった。ここのコロッケは一家全員が好きだし、メインになっても文句は出ないだろう。付け合わせの野菜だとか副菜だとか汁物は作っておいたし、後は温め直すだけだ。 手は家事をしながら、さっき買ってきたものを思い出す。ちゃんと隠したから大丈夫。まさか誰かが私たちの部屋の家捜しをするような事態も起こらないだろう。問題は、お眼鏡にかなうかどうか。もう買ってしまったのだ、また前みたいにこれじゃあと難癖つけられても今更だ。というか、そんなに不満があるなら自分で準備すればいいのに。私が家事の合間に無理して時間を作って選びに出かけて買ってきて隠して、なんてしなくてもやりようなんていくらでもあるじゃないの。 「ただいまー」 ああ、いけない、帰ってきちゃった。止まっていた手を再び動かす。 帰宅して台所までやってきた夫は、空になったお弁当と一緒に、紙袋を差し出した。 「お疲れさん。これ、おみやげ」 「おみやげ? どしたの、急に」 「いや、会社でもらった差し入れなんだけどさ、奥さんがここのお菓子好きなんだよねーって言って多くもらってきちゃった。一個しかないから、あとでこっそり食べて」 よくよく見ると普段は高くてなかなか買えないケーキ屋さんの紙袋だった。私は嬉しくなって、夫に抱きつくのを必死で我慢した。 ◇ ◆ 黄 ◆ ◇ 真っ赤なシャツを用意しようとした妻を止めてから数日が経つ。二人で出かけたその時に決められれば良かったのだがいいものが見つからず、結局お任せで買ってきてくれと頼んでから数日、ということだ。 きっと機嫌も悪いだろうな、と思ってもらってきたお菓子は、効果てきめんだった。俺は甘いものが苦手なのでその喜びはいまいち共感できないが、彼女にとっては最重要と言っていいほどの代物だということは重々承知している。愛妻家だ何だとからかわれながらももらってきた甲斐があるというものだ。 夕飯をたらふく食べて、少しだけ子どもたちと遊んで、お風呂も済ませてからようやく時間ができた。内心の不安はとりあえず置いておいて、自室に入る。妻はやたらと厳重に包みをしまい込んでいた。 袋を覗く前に、数日前の光景を思い出す。原色と言っていいほどの鮮やかな赤。あんな派手な服を喜ぶ男だと思っているんだろうか。料理だ何だは安心して任せられるが、変なところが抜けている。 微かに緊張した面持ちの妻を横目に、袋を開けた。まだ袋に入っているだけのシャツを取り出して、広げてみる。渋めの、暗いワインレッドのシャツ。おお、と声がもれた。 「いいんじゃないか、これ」 「ほんと?」 「うん、かなりいいと思う。洒落てるし、たぶん実際着られる」 そういうと妻は上機嫌になり、ちょっと偉そうに、満足げに笑った。 「じゃあ、今度はこっち」 そう言って丸く束ねられた包装紙を数本取り出す。 「包むところまでやっちゃうからさ。どれがいいかな?」 やれやれ、と思いながらも、楽しそうな妻を見ると自然と笑みがこぼれた。 ◇ ◆ 緑 ◆ ◇ 近頃なんだか家の中がそわそわしている。にこにこ何かを作っていたり、あわてて隠してみたり、何をしているのかはよくわからないけど、こそこそと、でもなんだか楽しそうにしている。 「なんだろうなあ、なんというかなあ……」 そんな中で、じいちゃんの独り言だけが、やけに沈んでいる。 「みんなよそよそしいというか……なあ、おまえ、知ってるか?」 しりません。ごめん。 じいちゃんだけはそわそわの家の居心地が良くないみたいで、ぼくはよく散歩に駆り出される。それは別にいい。散歩は好きだし、じいちゃんも好きだから。でも、ちょっと前までみたいに一緒に走ったりして遊んではくれない。 よく行く公園のベンチに座って、じいちゃんはただただため息を繰り返す。時折、いや、でも、なんだかな、なんてつぶやくくらいで、特に意味はないみたいだった。 ため息をつきがちなじいちゃんの隣だと、ぽかぽかの太陽もなんだかちょっとつまらない。せっかく仕事がお休みで、こんなに明るいうちから遊べるなんてなかなかないのに。 大丈夫だよ、何かはわからないけど、きっと、楽しいことが待ってるから。たぶん。 だって、そうじゃなきゃ他のみんながあんなに楽しそうなんてあるわけないから。じいちゃんだけのけ者にして、そんなわけないから。 だから遊ぼうよ、じいちゃん。 そう励ますためにぼくは、わん、と大きく鳴いた。 ◇ ◆ 青 ◆ ◇ 赤が女の色だって言っていやがるのは、子どもの考えることだ。おれはちがう。だって赤はヒーローの色だって知ってるから。 だから本当はおれが赤がいいけど、今度の主役はおれじゃないから、ゆずってあげることにしたのだ。おれはブルー、前に見たやつだとヒーローを支えるクールで頭のいい、いわば陰のリーダーだ。きれもののブルーは、野球に行くのも我慢してプレゼントを作るのだ。それもこれも、世界平和のために! みんなの笑顔のために! 「あら、いいじゃない。きれいきれい」 ママがうしろからやってきて、おれのけっさくを見てほめてくれた。折り紙のわっかをつないだ飾りは、学校でも何度か作ったのでひとりでもうまく作れる。切って、まるめて、つないで、切って、まるめて、つないで。ママが用意した折り紙は赤がいっぱい入っていたので、いろんないろがつながってはいるけどレッドのための飾りだって感じがした。 「おじいちゃんが帰ってくるまでにできあがりそう?」 うん、とうなずいてすぐ、隣で絵をかいてる妹の方を見る。おれの方はきっと終わるけど、妹はちんたらしてるから間に合うかどうかわからない。まったく、こいつはいつものろのろしてる。 「……おれが、間に合わせてみせる」 決め台詞みたいにそういうと、ママは笑った。 「よろしくね。……もし間に合わなかったら?」 「わかってるよ、全速力で片づける!」 「よしよし。じゃあ、もし早く終わったらお菓子を作ってあげよう。ホットケーキ焼いたげる」 おれは妹と顔を見合わせて、やった!と声を上げた。妹も黙ってはいるけど嬉しそうだ。 正義のヒーローにも、ほうしゅうは大事なのだ。おれはハサミを動かすスピードを上げた。 ◇ ◆ 藍 ◆ ◇ おとうさんは好き。お仕事いそがしいけど、休みの日にいろんなところにつれてってくれる。 おかあさんは大好き。怖いときもあるけど、やさしくて、一緒に遊んでくれる。 おじいちゃんも好き。おこづかいくれたり、すごくやさしい。お散歩にもつれてってくれる。 おばあちゃんももちろん好き。いつもにこにこしてて、いろんなお話聞かせてくれて、すごい。 ポチは大大大好き。ふさふさで、あったかくて、一番のおともだち。一緒にねてるとおこられちゃうけど。 おにいちゃんは、きらい。お絵かきしてたら「ピンクなんかだめだろ」っておこった。ピンク、きれいなのに。 「赤でぬれって言ったろ。ばっかだなー」 「赤、ない」 「ない?」 「くれよん、ぜんぶ使ってなくなっちゃった」 画用紙にピンクのクレヨンで続きをかこうとしたら、おにいちゃんがクレヨンをもっていってしまった。やっぱり。やっぱりおにいちゃんは、きらいだ。 「ほら」 べし、と頭をたたかれて、顔を上げるとおにいちゃんがきれいな箱を持ってきていた。みたことある。こないだ、おじいちゃんに買ってもらったばっかりの箱。 「おれのクレヨン貸してやるよ」 「……いいの?」 「しゃーねーからな。大事に使えよ。ぜってー折んなよ」 そう言って箱を開けてくれた。中身はいっぱい色のそろったクレヨン。まだほとんど使ってなくて、すごくきれい。 やっぱり、ほんとは、おにいちゃんもちょっと、好き。 ◇ ◆ 紫 ◆ ◇ やあねえ、気のせいですよ。みんながおじいちゃんに隠し事なんてするわけないでしょう。 そんな嘘をつくのも今日でおしまい。ちょうど日曜でみんなのそろう朝、食事の後にふたりで公園まで出かけて、昨日までと同じようにおじいちゃんを励ます。いや、でもなあ、と繰り返すばかりで、何が仕掛けられているのか考えつきもしないみたい。記念日なんて覚えない人なのだ。自分のことであっても。 日が真上にのぼるまでのんびりと過ごし、支度の整う頃を見計らって連れ立って帰ると、玄関で早速華々しくお出迎えされた。 「おじいちゃん、お誕生日おめでとう!」 満面の笑みでクラッカーを鳴らした孫たちと、その後ろでにこにこしている息子夫婦、横にお行儀良くお座りしたポチ、それと面食らって固まっているおじいちゃん。私はすっかり楽しくなって、おじいちゃんの手を引いて居間へ上がった。 部屋は孫たちの力作できれいに飾られて、輪飾りに囲まれたおじいちゃんの似顔絵がまんまるく笑っている。息子夫婦からはお祝いの洋服が手渡されて、私からは大好きな銘柄のお酒を一瓶。高いことを気にしてちびちびしか飲めないだろうけど、独り占めしてもらって構わない。今日の食卓には大好物を並べるから、最高のおつまみで最高の晩酌をしてもらおう。 みんなに急かされて赤いシャツに袖を通したおじいちゃんはとても素敵だった。頬が赤く見えるのは、シャツの色がはねているからだけではないだろう。 「若い頃を思い出すわ。あなた、赤がとっても似合ってた」 眉を下げたままで、おじいちゃんはポチの背中を上機嫌に撫でている。こんなに素敵な還暦を迎えられるなんて、と思うとうらやましくて、自分の番が回ってくるのが待ち遠しく思えた。 了 return to contents... |