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sharp crimson -The death story-
死神は仕事をしようと、いつものように黒い羽根を広げて降り立った。
そこは人気のない村外れで、ただ一軒の家だけがあった。肺を病んだ女が一人で暮らしている家だった。
死神は肌の黒い体を羽根に隠しながら戸をくぐった。
「そこにいるのは誰?」
死神は静かに驚いた。世界の狭間に生まれた死神が、人の目に映るはずがなかった。
女の目は閉ざされていた。床の軋む足音を聞き付けたのか、あるいは死神の人に似た匂いを嗅ぎ付けたのかもしれなかった。
女は死神の方へ手を伸ばした。
「どちら様?」
死神は逃げた。仕事をするその時まで、まだ少しの時間があった。
「こんにちは」
翌日、女は死神に気付くとそう声をかけた。
「もう来てくれないかと思った」
死神は返事をしなかった。ただ女の光を灯さない目だけを見ていた。
「歌は好き?」
女は水を汲みながら言った。
「元気な時は、よく歌っていたの。今は、気分の良い時だけ」
そう言って、小さく口ずさんだ。
女の歌声はすぐに止まった。死神が聞き惚れるより先に、血の匂いのする咳が歌を塞いだ。
死神は、つい、その背をさすってしまった。人の魂を刈るための存在である死神が人を助けるのは、罪に値した。死神の左手は失われた。
「ありがとう、とても楽になったわ」
女は青い顔で死神に笑い掛けた。その体が欠けたことには気付いていなかった。
「あなたは人間なのね。少し、ほっとした。独り言を言っているみたいだったから」
死神は何も言わなかった。何も言わなければ、人と同じ形をした体に気付かれることはないと思った。
「今日はまだいられるの?」
死神は一歩下がった。その時が来るまで、まだ日があった。
「……また来てくれる?」
死神は頷いたが、本当の望みは違うところにあった。
「また来てくれると、嬉しい」
死神は頷いた。それもまた本当の望みだった。
翌日、女は死神に気付くまで時間がかかった。
「こんにちは」
その足取りは不安定で、死神の方へ向くと同時に体が傾いだ。
死神は残っていた右腕で女を抱き留めた。女の体は驚くほど軽かった。女はそのまま咳き込んだ。死神は女を右肩に抱え、寝床へ運んだ。
汗ばむ女の額を撫でようとしたが、右肩から先がなくなっていたのでできなかった。
「ごめんなさい、私はもう大丈夫」
かすれた声で女はそう囁いた。
「ごめんなさい。こんな体じゃ、おもてなしもできない。あなたにお礼もできない」
女がごめんなさいと繰り返すのを止め、眠るまで、死神はそこにいた。
次に来た時、女は床に着いたままだった。何かを求めて、手を差し伸べるだけだった。
死神には、その華奢な手を受け止められる腕はもうなかったし、羽根を代わりにすることもできなかった。
女は苦しそうに喘いでいる。咳は止まらない。虚ろな目が何かを探す。その時は、目前だった。
死神の羽根が構えられ、その爪が女の喉にかかる。爪が振るわれれば、女の咳は止まり、苦しみは消え、楽になるだろう。
「あなたが、いてくれて、良かった」
微かに動いた女の唇が、そう呟いた。
死神は爪で女の髪をかき上げると、その枕元に跪いた。死神の羽根が、女を抱くように包み込んだ。
「おまえは、生きるといい」
己の唇を噛んだ死神は、そこから滴る血を口移しで女に含ませた。たちまち女の咳は止まり、その肌に鮮やかな血色が戻った。
開かれた瞳に、一瞬、肌の黒い男の微笑みが映った。そしてそれは、すぐに掻き消えた。
女の体はすっかり健やかになった。目も見えるようになったので、外にも出られるようになった。
沢山の場所へ行き、沢山の人と出会い、沢山のものを愛した。
しかし、どれだけ捜しても、あの男に会うことはかなわなかった。
女の目の裏には、今でも、黒い肌の男がいる。
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