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 その手に、シャワーヘッドが当たった。これで殴ったとして、果たして効くだろうか?逆上されたら私に勝ち目はない。
 一撃。一撃でこの男を退けられなかったら、終わりだ。それだけの攻撃を、このシャワーヘッドで与えられるだろうか?
 ――いける。
 大丈夫だ。私はきっと、勝てる。一瞬でもこの男をひるませられれば――。
 私はシャワーヘッドを手に取り、温度調節のノブを思い切りひねった。
 ――来るなら来い。
 シャワーをドアに向け、ノブを握る。きつく、きつく。私は男が姿を表す瞬間を待った。
 ドアが開く。私は思い切り、ノブを回した。
「――ギャアアアアアア!!」
 男の叫びが耳を劈かんばかりに響き渡った。湯気で視界が埋め尽される。
 男がその場に倒れ込み、私は我に返ってシャワーを止めた。シャワーヘッドが手から落ちる。
 男の呻き声。
 私の荒い息。
 私は震えていた。
 本能的に、私はバスルームを飛び出した。男を避け、バスタオルを引ったくり、外を目指して走った。
「待て! 待てぇ!!」
 こもったような男のがなる声が背中に襲いかかってくる。濡れたフローリングで足が滑っても、涙で前がかすんでも、私は立ち止まるわけにはいかなかった。
「――助けて!!」
 アパートの廊下へと転がり出る。その勢いで壁にしたたかに体を打ち、そのままへたり込む。真っ暗な視界の中で、二三ドアの開く音が聞こえた。
 ――助かった。
 そう思うと同時に、目一杯タオルを握り締めていた手の痛みに気付く。転んだ時にぶつけたのか、右手の爪が赤黒く変色していた。
「ど、うして……」
 声に反応して、体が身構える。ぽっかりと開いた玄関に、男の姿が見えた。うつぶせのまま上半身を起こして私を見ているその顔はただれていた。私に向けて伸ばされた手は震えている。私は体が痛むのも構わず、自身を抱きすくめた。男が再び口を開いたのを見て、私は耳を塞いだ。
「……僕は、こんなに、君、を……」
 力尽きたように手が落ち、くぐもった声はそれきり止んだ。手をすり抜けて滑りこんできた男の声は、いつまでも私の耳に残った。
 それは、泣き声のようだった。


エピソードBBB
「泣き声」

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