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「私だって信じたいよ。でも、信じられない」
 あの瞬間の、絶望感。
 私の知らない女と二人で歩く彼は、本当に楽しそうだった。私といる時よりも、ずっと。
 私は大きく深呼吸をした。そして、覚悟を決めて佑司を見た。
「いいから、もう行って」
 佑司の視線に耐えながら、私は声を絞り出した。背筋を伸ばし、佑司を睨み返し、気丈に振る舞おうとした。
「今日子……」
 佑司の声が、私を揺さ振る。
「……もう、これ以上つらいのは、嫌だよ」
 重い沈黙。湿った髪が、ひんやりと冷たかった。
「……わかった」
 佑司のその一声は、静寂を破るのに充分過ぎた。
「これ、返すよ」
 佑司は足元にある鞄から小さな鍵を取り出してみせた。それはもちろん、この部屋の合鍵だ。頷いて受け取ると、それは私の手の中でただの鉄クズになった。
「それじゃあ……」
 佑司の声が、遠くに聞こえる。
「さよなら」
 取り残された私は、耳が痛む静けさの中で浮き彫りになる。目をつぶり、深く息を吐く。何度も深呼吸を続ける。
 開かないドアの存在感。手の中には鍵の感触。
 こわごわと目を開けると、一筋の滴が頬を流れ落ちた。
「さよなら」
 寂寞に満ちる部屋の中で、私の呟きだけが、空々しく響いた。


エピソードAAB
「さよなら」

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