彼は本当に素敵に笑う。夏に「汗っかきなんだ」なんて言いながら照れ笑いするのを見た瞬間、私は恋に落ちたのだ。思い出すと今でも顔がほころんでしまう。

 そして彼が女の人と二人で笑っていたのも思い出し、溜め息を吐く。彼は否定したけれど、私は浮気だと食って掛かり、飛び出した。今思うと、相手の女の人へのコンプレックスが原因だったようにも思える。仮に本当に浮気だったとしても、それはもっともなことかもしれない。だって――だって、アタシは、男だから。

 彼はそのことを知らない。今までアタシは必死に隠してきたのだ。彼に嫌われたくない一心で。

 でも、もう潮時かもしれない。性別を偽って付き合い続けるのには、彼を騙し続けるのには限界がある。彼はアタシを求めてくれるけれど、アタシに応えることはできないのだ。それはとてもつらく、悲しい。

 ……これは、別れるために与えられたきっかけなのかもしれない。それが二人のためにはいいに決まっているのだから。

 視線を落とし、湯船の中の体を見る。また、溜め息が出た。

 と、ドアチャイムが鳴るのが聞こえた。間髪入れずにドアを叩く音。

「――今日子!」

 アタシははっと息を呑んだ。彼の声だ!

 アタシは思わず立ち上がり、洗面所を出ようとした。でも、彼に何と言えばいい? アタシの本当の気持ちは、まだ言葉にならない。でも彼は、きっと鍵のかかっていないドアを抜けて入ってきてしまう。ああ、どうしたらいいの!

 アタシは目をつぶり、心を決めた。

  A.アタシじゃ駄目……アタシじゃ駄目なの!
  B.アタシ……アタシ、やっぱり彼が好き!