彼との楽しかった日々。それが崩れたあの瞬間に流れた汗はとても冷たくて、まるでナイフのようだった。私の全てを切り裂くナイフだった。

 知らない女の人と二人で歩く彼。私に気付かない二人は、とても楽しそうに笑っていた。

 とても、とても楽しそうに。

 再び溜め息を吐く。あの時の、目の前が真っ暗になる感覚が蘇る。自分が内側からじわじわと蝕まれていくような、涙を誘う感覚。私はいつまでもこの感覚を拭うことができない。あの時からずっと。

 情けなかった。情けなくて、悲しかった。

 湯船から上がると、体がひどく重かった。たっぷりと水を吸った毛布のような体を洗面所へ引きずり出し、体を拭いて服を着る。髪を下ろすとじっとりと湿っていた。肩にかけたタオルで乱暴に髪を乾かす。

 もう、このまま眠ってしまおうか。明日は会社に行かなきゃいけないけど、髪なんてまとまらなくても別に構わないような気がする。

 そんなことをぼんやりと考えながら、私は洗面所を出た。

 頭で理解するよりも先に、その声に私は揺さぶられた。私の周囲の空気が一気に失せ、私の体は冷ややかに固まった。

「……佑司……」

 耳に届いた自分の声が、震えていたのがわかった。私は佑司から視線を剥がすことができなかった。

「俺の話を聞いてくれ。あれは、誤解なんだ」

 私が重い口を開くよりも先に、佑司は続けた。

「今日子が見たのは、俺の姉貴なんだ。あの時はちょうど用事があって、買い物に付き合ってもらっただけなんだよ」

 それは優しすぎるくらい優しい声だった。佑司は焦ることもなく真っ直ぐに私を見ている。私は何も言えずにただ首を振ることしかできなかった。まるで壊れて動き続ける子供のおもちゃみたいに。

 佑司が一歩、私に歩み寄る。私はびくついた。

「……俺のこと、信じられないか?」

 それが合図になり、私は自分を抑え切れずに、叫んだ。

  A.「――信じたいよ!」
  B.「――信じられるわけないじゃない!」