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Iron butterfly : order.01.9 dead men生きる男たちは 高らかに叫ぶ 父の死を看取ると、イアンは静かに床を離れた。 屋敷の外へ出ると朝靄に辺りが薄らとけぶっており、冴え渡った空気が肺を満たした。柔らかな乳白色に包まれた街並みに、イアンは父の業績を思った。この街を形作り、保持した父。父を思い返す時、脳裏に浮かぶのは威厳に溢れた正面ばかりだった。息子にも不用意には背中を見せない人で、イアンの思い出せる広い父の背は子供の頃に見た一度きりだった。だが、それは相手が自分だったからかもしれない、とイアンは思う。兄ではなく、自分だったから。自分は望まれた、求められた子ではなかったから。 それでも、と思う。親子であることに、違いはなかった。 「……私の家族は、皆死んでいくな」 そう呟くと、イアンは振り向いた。一人、眼鏡の奥に泰然たる視線を秘めた痩躯の青年が立っていた。 「ファミリーは死なないさ。ボスがいる限りは」 リチャードはそう応えると、眼鏡を押し上げながらイアンの横へ並んだ。 「また兄貴のことを思い出してたのか」 「忘れられるものか。私のただ一人の兄だ」 二人の立つ周囲はいくらか豊かな建物も多い。二人は連れ立って歩き出し、それらの間を抜けて裏道へ入った。擦り切れた新聞紙や朽ちた葉などが転がる道を通り、屋敷から真っ直ぐに進むと、一陣の風が二人を迎えた。そこは高台になっており、街が一望できた。 「親父も兄貴も、街を愛した人だった。あの二人はよく似ていたよ。互いが半身のようで、だから兄貴が死んだ時、親父は半分死んだ。……忘れられるものか」 眼下に広がる街並みを、イアンは睨んだ。 「どうしたんだ、今日はやけに饒舌じゃないか」 リチャードは足元にあった空き瓶を爪先で蹴り転がしながら素っ気なく言った。 「今日は特別か」 瓶を足で遊ばせたまま呟かれた言葉は、殊更無表情だった。イアンは答えず、ただ空を仰いだ。風が吹き、雲が流れ、鳥がさまよっていた。 「覚えているか、リチャード」 「何をだ?」 「おまえが兄貴を殺そうとした時のことさ」 唐突に投げ掛けられた言葉に、リチャードは呆けた顔を見せた。そしてすぐ、ふっと苦笑した。 「それこそ、忘れられることじゃないな」 「私もよく覚えているよ。あの時のおまえは印象的だった」 「意地が悪いことを言うなよ、イアン。楽しい思い出じゃあない」 二人の頭上で旋回する鳥が甲高く鳴いた。 「牽制のためだけの鉄砲玉なんて、どんなガキだってやりたがりゃしない。計画性なんてないも同然だったし、効果があるとも思えなかったな。あれじゃただの八つ当たりだ」 「その程度のことを考える連中だから、ガルシアの敵にはならなかったんだろう」 「言うねえ、ご子息様は」 「結束のない組織は僅かなほつれにも弱い。結びつきがなければ、自ずから瓦解するものだ」 「至言だな。どっちからの受け売りだ?」 「両方さ。兄貴は親父の受け売りだと言っていた」 そこでようやく、イアンは口元に笑みを浮かべた。リチャードも首をすくめて笑った。 「それにしても、今にしてみれば甘過ぎる連中だったな。ろくに銃を持ったこともないガキを一人で乗り込ませるってんだから」 「それでもおまえは当てたじゃないか」 「服に、だろ。俺はあの人にかすり傷だって負わせちゃいないんだ」 そう言って自分のスーツの裾をぺらぺらと揺らしてみせると、リチャードはふと声色を変えて呟いた。 「度胸は褒めてやる。どこを撃ち抜かれたいか選べ……あの時は痺れたね、実際。銃口から目が離せなかった」 「潔い人だったからな、兄貴は。失敗して戻ったところで向こうに始末されるのが落ちだったろう?」 「だろうな。戻るくらいなら一思いに殺されたほうがマシだった」 敵として初めて対峙した時、リチャードはガルシアの配下に組み敷かれながらも眼光は鋭かった。イアンはそれを今でも鮮明に思い出せる。 「そこでおまえに出番が回ってきたわけだ。あれが初仕事になるはずだったんだろ?」 「ああ。兄貴は前から経験すべきだと言って私を連れていたからな」 持ったことだけは多かった銃は、イアンの手には軽かった。この一撃で失われる命の重ささえもわからなくなりそうで、それが何よりも不気味だった。 どうした、早く殺せよ。でないと俺がお前を殺すぜ――眼光と同様に冴えた声を聞き、イアンは、銃を下ろした。 「……何故、俺を殺さない?」 かつてのリチャードを模し、イアンはそう投げ掛けた。惑うことなく察したリチャードもそれに倣い、イアンの言葉を模した。 「――殺されたがっているから」 互いに、片言たりとも欠かすことなく覚えている台詞だった。二人は見合って笑みを浮かべた。 「そこで、俺の命はおまえに預けられたわけだ」 「言われることこそなかったが、兄貴は快く思ってなかったろうな。私はおまえに、自分の組織を裏切れと宣告したわけだから……」 「ファミリーの結束は絶対、か。まあ、向こうさんはそこまでの組織じゃなかったがな」 イアンが仰向き、深くゆっくりと呼吸する。その呼気は中空に消えた。 「……懐かしい話だな。昨日のことのように思い出せるのに、不思議なものだ」 空の向こうに広がる街並みが、イアンに迫る。この街には、もう兄も父もいない。 「……イアン、何を考えている?」 「兄貴が継ぐのが一番だったと、ふと思っただけさ」 兄の死は、病床に伏した父のそれとは異なり、突然だった。 ガルシア・ファミリーのボスの長子であった兄は、その身を狙われることが多く、ある日も敵対組織の配下が使わされた。いつもと決定的に違ったのは、兄がその敵を生かしたことだった。傍らにいた弟に向かって「おまえの選択も悪くはない」と笑いかけたことだった。生かされた男はまだあどけなさの残る顔に戸惑いを浮かべていた。 仲間にさえも名前を覚えられていないような少年から戸惑いが消された瞬間、闇雲な銃声が兄の胸を貫いた。 一体、イアンはこれまでに何度悔いと惑いに胸を焦がしたろうか。自らの為したことに、為せなかったことに、何度思いを馳せたろうか。たとえ兄を殺した相手の命を絶とうとも、その思いが晴れることはなかった。 「……妾の子になど、誰も期待しない」 どうしてあの時に生き残ったのは私だったのだろう。私が生き残ったことに、何か意味があるのだろうか。 イアンの静かな迷いは、リチャードに掴みかかられることで揺さ振られた。 「いいか、覚えておけ――おまえは楯じゃない。銃だ。弾が切れたらこめ直して、トリガーを引けばいいんだよ」 リチャードの手に込められた力が、イアンの胸倉を押し上げる。 「楯には、俺がなる。わかったか、イアン・ガルシア」 その眼光がイアンを捉えた刹那、記憶の渦の中から同じ光が浮かび上がった。「殺せ」と迫った少年の、あの目だった。 「変わらないな、おまえは」 「あん?」 怪訝な表情を浮かべるリチャードに、イアンはふっと相好を崩した。 「大丈夫だ。わかってるよ」 おまえがそうあってくれるから、自分は間違っていなかったのだと信じられる。 毒気の抜かれたリチャードは、訳知り顔で手を離した。 振り返ったイアンが街に目を落とす。瞼を下ろして黙祷し、わずかながらの時間を二人の男に捧げた。再び目を開けた時、街が諸手を広げて新たな指標を求めているのがわかった。 「今日は少し喋り過ぎたな」 「なら、喉が乾いたろう」 リチャードの足元で、砂利が空き瓶をがりりと噛んだ。 「後で店に行こう。たまには酒もいいだろう?」 「ああ、そうだな」 表通りから車の音がする。二人は屋敷の方へ向いた。 「行こう。親父の遺した仕事が待ってる」 歩き出したイアンを、リチャードが追う。 「了解、ボス」 その応えに、イアンはひっそりと笑った。それは父の笑い方によく似ていた。 デッド・メン【dead men】 @空の酒瓶。 A没した男たち。 了 return to contents... |