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Iron butterfly : order.05 knockout


咆哮が牙を剥く
獅子の如き重圧を響かせて


「何か、お勧めのカクテルはあるかい?」

 一見の客はカウンター席に滑り込むと、開口一番にそう尋ねた。

「お好みは?」
「何でも。甘過ぎなきゃいい」

 その客は中性的な顔立ちで、明るい色の短い髪と大柄の体躯の持ち主だった。シャツの短い袖から覗く手をカウンターの上で組み、快活に笑う。

「強かろうと辛かろうと構いやしないよ」

 カウンターの中にいたバーテンダーは一つ頷くと、シェイカーを掴んでドライ・ジンの瓶に手を伸ばした。

「いい店だね、ここ」
「どうも」
「無闇にでかくないし、評判もいい。一度来てみたかったんだ」

 スツールの上で体をひねり、店内をざっと見回す。時間が早いからか、客は少ない。二組の客の座るテーブル席は男ばかりで埋まり、他に客のいないカウンターと違って賑やかな喧騒がある。仕事中の店員を経て、視線は再びカウンターに戻った。

「あんた、ここのマスターのスタンリーだろ?」

 シェイカーの蓋を締めたバーテンダーが手を止める。客はにやりと笑った。

「ここらじゃ有名だよ、あんた。西スラムのチンピラがおとなしいのはあんたのおかげって噂だってある」
「そりゃ俺じゃなくてガルシア・ファミリーが幅を利かせてるからだろ」
「そうかな? 知り合いで、あんたにやられたって奴は山ほどいるけど」

 スタンリーはふんと鼻で笑い、腕を振り上げた。

「ろくな知り合いがいないな、あんた」

 その手元で氷がカシャリと鳴る。リズミカルな音に、客の笑い声が重なった。

「違いない。……でも、実際に会って確信したよ。一度、手合わせ願いたいね」

 ゆっくりと手を止めたスタンリーは首を振り、カクテルグラスを取った。黄みがかった透き通るカクテルが注がれ、ミントの涼やかな香りが鼻をつく。

「俺はただのバーテンダーなんでね。酒で我慢してくれ」

 紙製のコースターを挟み、グラスがカウンターに置かれる。

「残念だな。気が向いたらいつでも言ってくれよ」
「気なんぞ向かんよ。それ飲んで諦めろ」
「ちぇ……で、これ、何てカクテルなんだい?」
「ああ、それは……」

 スタンリーの声にかぶさって、テーブル席の方から椅子の倒れる音が響いた。言葉を止めて目を向けると、男たちがいきり立っているのが見えた。そのすぐ横で、若い店員が眉を下げている。

「あの、お客さん……」
「――うるせえ!」

 罵声で一蹴された店員が救いを求めてカウンターを向く。

「てめえでどうにかしろ、ウィリアム」
「そ、そんな……」

 スタンリーはウェイトレスに顎をしゃくってカウンターに入らせ、未だ騒ぎ立てている連中にうんざりした目を向けた。

「おい、あいつらを黙らせろ」
「む、無理ですよ。何人いると思ってるんですか……」

 すごすごと引き上げてくるウィリアムにスタンリーが溜め息を吐く。小振りのビール瓶を片手に一触即発な空気を漂わせている髪の長い男の後ろには連れが二人並び、敵対しているらしい側は他より一回り大きいスキンヘッドの男に側近が一人。長髪の方は三人とも一見客だった。

「面白くなってきたな」

 カクテルそっちのけでテーブル席に体を向けている目の前の客の言葉に、スタンリーは舌打ちで返した。

「おい、喧嘩ならよそでやってくれ」

 ウェイトレスを後ろにかばった格好で声を上げる。長髪の男は勢い込んで振り返り、腕を振りかぶった。

「うるせえっつってんだろうが!」

 そのまま、男はビール瓶をカウンターに向けて投げ放った。ウェイトレスの叫びと、ガラスの割れる音が重なる。

「ルー!」

 ウィリアムがウェイトレスに向かって叫ぶ。ルーは青ざめた顔色で答えた。

「わ、私よりもマスターが……!」

 ビール瓶を左腕で受けたスタンリーは顔の前に濡れた腕を構えている。薄らと血の混ざった滴が肘を伝い、カクテルグラスを巻き込んで割れた瓶の破片に落ちて弾けた。

「――おい、やり過ぎじゃないか」

 怒りをあらわにしたのはスタンリーでもウィリアムでもなかった。

「喧嘩したきゃすりゃいい。別に止めやしない。でも、他の奴を巻き込むなよ。こっちは酒を飲みに来てるんだ」

 カウンター席からのその声は、男たちをあおった。

「怪我したくないんなら、おとなしくお家に帰るんだな」

 スキンヘッドの男が真顔で言い捨てる。その返事は、笑い声だった。

「いや、別に、怪我したくないってんじゃないけどさ」

 そしてスツールから立つと、男たちに対峙して両手を広げてみせ、告げた。

「あんたら相手に怪我なんてしやしない」
「何だと!」
「この中で出来る奴は……そのロン毛と、ハゲくらいかな? もっとも、酔ってなきゃの話だけど」
「てめえ、言わせておけば……!」

 飛び出したのは、長髪の男の横にいた、うら若い男だった。素早い動作で駆け出し、顔面を狙って拳が出される。男は下卑た笑みを浮かべていた。

 が、その笑みは拳がいなされると同時に消えた。すぐ目の前に相手の足の裏が止まり、鼻先にかする。男の短い髪が揺れた。

「……悪いけど、あんたじゃ無理だ。これでも、喧嘩屋やってるんでね」

 寸止めされた蹴りに圧され、男が後退りする。得意げな表情を浮かべる客が悠々と脚を下ろすのを見て、ウィリアムが目を見開いた。

「け、喧嘩屋って、まさか……」

 その呟きは、その場にいたほとんどの心情を代弁していた。

「まさか……喧嘩屋のクーガ?」

 唯一本人だけが晴々とした面持ちでいる。

「お、嬉しいね。――あたしの名前も、売れたもんだ」

 満足げに破顔するクーガに、店内中の視線が集まる。

「……クーガさんって女の人だったんだ……」

 またしてもウィリアムが皆の代弁をした。

「女じゃ不服かい? そこら辺に転がってるチンピラに負けるつもりはないんだけどね」

 クーガは口元を挑戦的に上げると、視線を男連中に流した。

「言うじゃねえか……そこまで言われて黙ってるわけにはいかねえな」

 鋭い眼光で睨み返した長髪の男が一歩踏み出したのに合わせ、連れの二人も勇み出る。

「おい、おまえらの相手は俺たちだろう」

 それを止めるように、スキンヘッドの男の側近がクーガとの間に割り込んだ。

「ガルシア・ファミリーに楯突くとどうなるか、その体に教えて――」

 男の言葉が最後まで言い切られるより前に、その顔面には拳が叩き込まれていた。くぐもった声を上げて顔を押さえる男を見下ろし、長髪の男は嗤う。その右手の中指にはめられた大振りの指輪に、血が滲んでいた。

「ガルシアがどうした? 俺たちはあんなやわな奴らには屈しねえ。すぐに沈めてやるから、少し黙ってろや」

 そう吐き捨て、スキンヘッドの男を鈍く光る目ですくい上げる。その後ろで、仲間の二人がいびつな笑い声を上げた。

「……気に入らないな」

 不機嫌に眉間をしかめたクーガが、ふともらす。長髪の男はにやついてクーガに歩み寄った。

「不意打ちはお気に召さなかったか? ずいぶんと甘ちゃんなんだな、西スラムの喧嘩屋は」
「気に入らないもんは気に入らな――」

 語尾に、拳が空を切る音が打ち重なる。が、その拳は何に触れることもできなかった。

「――不意打ちでも何でも使え」

 俊敏な動きで拳をかわしたクーガが告げる。

「あたしが、全部潰してやる」

 そして顔の横にある男の手首を掴み、拳を一瞥すると鼻で笑った。

「趣味の悪い指輪だ……!」

 クーガは男の腕を投げ捨て、その首を狙って蹴りを繰り出した。男はいち早く腕を上げて受け止め、痺れる腕で脚を受け止めたままクーガを睨み付けた。目の色は既に暗く濁り、残虐な光を帯びている。

「面白え。来いよ、クソアマ。ぶっ殺してやる」
「あたしに喧嘩売るなんて、運がないね。……それとも、身の程知らずなだけかな?」
「ぬかせ!」

 クーガの脚を弾き、男は吠えた。そのまま顔面を目掛けて拳を連続的に打ち込むも、全てを紙一重にかわされる。体勢を下げたところに男の膝が上がり、クーガは身を翻して後退した。

「どうした? かかってこいよ」

 男はクーガを見下すように顔を傾ける。

「びびっちまったか? おネエちゃんよ?」

 男は大股に踏み込み、クーガの懐に入ってアッパーカットを狙った。クーガは背を反らして避け、上半身を戻す勢いで拳固を返す。男もそれをすんでのところでよけ、再び顎を狙う。体を捻ってかわしたクーガは、そのまま男の腹に回し蹴りを振るった。

「わけわかんねえ動きしやがって……」

 肘を下げて蹴りをブロックした男が呟く。威力を殺し切れずによろめいたところにクーガはもう一度蹴りを放った。男はまた同じように両肘でガードしたが、今度は腕に走った痛みに小さくうめいた。

「ああ、ああ、みっともないねえ」

 脚を戻したクーガが拳を解いて笑う。

「これじゃ本気も出せやしない」

 男は自分の腕をきつく握り、歯噛みした。深い呼吸を繰り返し、クーガを睨み上げる目をちらちらと逸らす。

「おい、もう降参か?」
「……ぬかせ」

 男はにやりと笑った。

「クソアマが……サンドバッグにしてやる!」

 その台詞を合図に、長髪の男は二人の手下と共にクーガに飛びかかった。クーガは、笑っていた。

「言うこともやることも……三下はワンパターンなんだよ!」

 飛び交う複数のパンチをいなしながらクーガは挑発的に笑い声を上げる。加わった二人は反撃の機を窺うように距離を取ったままジャブを繰り出した。腰が引けているようにも見える。クーガは余裕の笑みを崩さなかった。

 そしてそれは、油断にもつながった。

「――かかれ!」

 長髪の男の企みに気付いたのは、一人に右腕を掴まれた後だった。それは何度も繰り返されてきたであろう動きだった。振りほどくより先に左腕も別の男に掴まれ、両腕を後ろに封じられたクーガは舌打ちをした。

「いい格好だなあ、クソアマ」

 長髪の男はその姿を眺めやりながら舌舐りする。

「おとなしくしてりゃ見れる女なのによ」
「……寒気がするね。気色悪い」

 言い捨てたクーガの顔に、男の握り拳が叩き込まれる。頬に、指輪が一条の赤い線を描いた。

「吠えろよ、喧嘩屋。何の後ろ楯もないゴロツキがいきがりやがって。いいか、俺はな、てめえみたいなカスが歯向かえるような男じゃねえんだよ。覚えておけ、俺の名は――」

 男が言い切るのを待たず、クーガはその顔に唾を吐きかけた。

「――悪いけど、雑魚の名前なんかに興味はないね」

 血の滲む唇をふてぶてしく吊り上げ、クーガは言った。長髪の男の顔には見る見るうちに血が上り、荒々しく頬を拭ってから手を腰の後ろへ伸ばした。

 濁った音を立てて、男が息を吐く。手馴れた動作でバタフライナイフが開かれた。

「……趣味も悪けりゃ手癖も悪いな」
「そんな口を利いていられるのも今のうちだ」

 冷ややかな声で告げる男は、虚ろな目でクーガを眺めている。

「なに、死体の一つや二つ、東スラムじゃ珍しくもない。この辺りだって、すぐにそうなる。すぐにな。おまえはその見せしめだ。俺たちに歯向かうとどうなるか――思い知らせてやるよ」

 男が横薙ぎに振りかぶるのから、クーガは目を逸らさなかった。その刃は幾人もの血を吸ってきたように見えた。

「――があああ!」

 それは男の声であり、手負いの叫びだった。男はナイフを落とし、反射的に右手を押さえた。

 その二の腕に、深々とアイスピックが突き刺さっていた。

「く、クソッ……クソがっ……!」

 柄の重みに傷を広げられ、男がうめく。手下の二人は空足を踏むように足元をすくませた。

 その一瞬に、クーガは力を込めた。腕尽くで二人を振り払い、一気に蹴り飛ばす。軋んだ肩の痛みにも構わず、クーガは拳を握った。

 長髪の男が顔を上げると、眼前に拳があった。そのまま鼻を砕かれた男は血を噴き、腕をぶら下げて棒立ちになる。クーガは空を切って脚を振り上げ、男の脳天に踵を叩き込んだ。

 男は自分の血で汚れた床に崩れ落ちた。

 クーガは血気を抑えて呼吸を整え、まだ立っている二人を睥睨した。すっかり顔色を失っている二人を見たまま、店の入り口の方へ顎をしゃくる。二人は追い立てられるように長髪の男を抱え、店の外へと転がり出て行った。ゆっくりと息を吐くのに合わせ、クーガは肩から力を抜いた。

「大丈夫か?」

 カウンターからの声にクーガが振り返る。

「肩、外れるかと思ったよ」

 そう返し、不意に歯を見せて笑う。

「まだやれるけど……あんたら、どうする?」

 掌で唇を拭いながら目を好戦的に光らせ、クーガはスキンヘッドの男の方を向く。男は首を横に振って椅子を直した。

「この店じゃ、よっぽどのことがない限りドンパチはしたくないんでね」

 二人の男は元いた席に戻り、カウンターを向いた。

「マスター、そいつにビールでもやってくれ」
「いいのかい?」
「騒がせた詫びだ。遠慮なく飲んでくれ」

 ほくほく顔でクーガがカウンターに戻る。ようやく人心地ついたウィリアムが、デッキブラシを持って血の跡を拭きに出た。

「で、何が原因だったんだ?」

 きれいに片付いたカウンターに栓を抜いたビールの小瓶を置き、スタンリーが訊く。

「あいつらがうちのファミリーを名指しで馬鹿にしたんでな」
「ほう、無謀な奴らだ」

 ぬるいビールをあおり、スキンヘッドの男が頷く。

「代替わりしてから馬鹿な奴が増えてな。じきに落ち着くだろうよ」
「なあ、もし入り用だったらあたしに言ってくれよ。馬鹿を片付けるのには慣れてるんだ」
「考えておくよ。……マスター、冷えたビールをくれ。さっきと同じやつを、二本だ」
「すぐ出すよ」

 スタンリーは頷いて冷蔵庫に手を伸ばした。栓抜きを取り、テンポ良く瓶を開ける。

「……おい、あんた、もう飲んだのか?」

 ルーにビールを預けたスタンリーが呟く。

「あ? ああ、まあね。喉渇いちゃってさ」

 クーガは振り向いて瓶を掲げ、スキンヘッドの男に向かって「ごちそうさん」と笑った。男が頷いたのを見て、向き直る。

「あんたは、腕、大丈夫かい?」
「それより、あいつらにアイスピックを持って行かれちまったのが痛い」

 空の瓶をスタンリーに戻しながら、クーガは吹き出した。

「タフなもんだね、バーのマスターってのは」

 笑い声で言い、浅い傷の残る左頬を親指の腹でこする。

「……まあでも、あんたには向いてるかもな」
「そうかい?」
「ああ、いろんな意味でね。喧嘩売る気もなくなっちゃったよ」
「そいつは何よりだ。店で騒がれちゃたまらん」
「あんたがいれば騒ぐ奴なんていなくなるさ。刺されちゃかなわない」

 スタンリーの口から苦笑がもれる。と、クーガの背後にドアの開く音が聞こえ、新たな客が入って来るのが見えた。店内の空気を一新するような、楽しげな明るい声が飛び込んでくる。

「いらっしゃい」

 そう言いながら、スタンリーはカウンターにカクテルグラスを乗せた。

「……?」
「さっき、頼んだだろう」
「ああ! 忘れてた。っていうか、いいのか?」
「ぶちまけたのはあんたじゃないからな」
「ありがたいね。やっぱりいい店だな、ここ」

 顔中に笑みを浮かべ、クーガがグラスを取る。掲げて電灯に透かし、鮮やかな色に目を細めた。

「で、何てカクテルなんだい?」

 にわかに活気付いた店内で、スタンリーは意味ありげに笑った。

「――ノックアウト、さ」




ノックアウト【knockout】
@ジンとベルモットとアブサンにミント・リキュールを加えて作るカクテル。クセが強いので、万人受けするようなカクテルではない。
A打破。決定的な一撃。KO。








  了









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