return to contents...


Iron butterfly : order.02 silver bullet


一揃いの拳銃は 互いの背を合わせ
銀の弾丸を撃ち出すだろう


 ほつれたカーテンの隙間からもれる朝日が顔に当たり、男は目を覚ました。体を起こしながら寝癖のついた髪をわしわしと掻き、大きく欠伸をする。皺にまみれたズボンだけという格好のままでのそりと立ち上がり、カーテンに負けず劣らず汚れているガラス窓から外を見ると、朝と呼ぶにはおこがましいほどに太陽は高く照っていた。男は顔をしかめ、放り出されていたシャツを羽織ると部屋を出て階下へと足を運んだ。

 と、男ははたと立ち止まった。その視線の先には一人の少女が立っていて、困った表情で男を見上げていた。

「……おはようございます、マスター」

 少女と鉢合わせしたスタンリーはばつが悪そうに頭を掻きながら、ああ、と腑抜けた声を出した。少女は視線を逸らし、手に持っていたデッキブラシを握り直して床の掃除に戻った。スタンリーはそそくさと上着のボタンをはめながら、視線を店内へと逃がした。

「おい」

 少女がアイアン・バタフライを訪れてから数日が経つが、スタンリーは未だにルーという名で少女を呼んだことがなかった。

「ウィリアムの奴はどうした?」
「……買い出しに行ってます」

 ルーは警戒しているとも言えるような雰囲気で、恐る恐る答えた。ルーの方もまた、スタンリーとの会話には未だ慣れていないようだった。それもそのはずで、スタンリーは新人であるルーの世話を店員のウィリアムに任せ切っていた。二人だけの会話は、これが初めてだった。

 ボタンをはめ終えたスタンリーは、所在無く店内を眺めた。いつになく清潔感が漂っているように感じたスタンリーは、どうにも決まりが悪く、隠れて顔を歪めた。

「あの」

 その声が唐突に聞こえたので、スタンリーはしかめ面のままでルーに向き直った。ルーは一瞬びくついたが、すぐに姿勢を正して言った。

「ウィリアムさんに、そろそろ店の方を手伝ってみないかって言われたんですけど……」
「ウィリアムに?」

 頷くルーを見ながら、スタンリーは考えを巡らせた。それはどうあがいても同じ結果にしか辿り着かず、スタンリーは表情を曇らせた。

「……いいんじゃないか」

 眉を寄せたままでスタンリーはそう答え、今夜から店に出るように指示した。そのまましばしの間張り詰めた空気が緩むことはなく、ウィリアムが紙袋を抱えて帰ってきてようやくルーはほっと息を吐いた。

「おかえりなさい」

 そんなもの言いにさえ居心地の悪さを感じ、スタンリーはこっそりと溜め息を吐いた。

「あれ? マスター?」

 カウンターに入り袋の中身をあけながら、ウィリアムは素っ頓狂な声を上げた。

「何だ」
「ボタン、掛け違えてますよ」

 悪気がないだけ性質の悪いウィリアムの言葉はスタンリーの癪に障った。ウィリアムを大いに睨みやりながらボタンを直したスタンリーは、手元にあった雑巾をウィリアムの顔面目掛けて投げつけた。

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 スタンリーがルーの仕事始めを渋った理由をルー本人が知ったのは、それからしばらくして、店が賑わい始めた頃だった。

「おいおいスタンリー、こんな可愛い子を連れ込んでどうしようってんだ?」

 テーブル席の客が注文を運んできたルーをまじまじと見つつ、カウンターの方に身を乗り出す。スタンリーは開店前よりも更に機嫌が悪くなっていた。当の本人であるルーは、大きめのエプロンをスカートのように巻いた姿で困ったようにはにかんでいる。

「そういうのが好みなら、さっさと店を出て近くのロリータクラブにでも行きやがれ」
「わかってねえな。店でじゃなくて、こういう小汚い場所で会うのがいいんだろうが」
「わかりたくもねえよ」

 力を込めてグラスを磨くスタンリーを、ウィリアムがはらはらした様子で窺う。

「あ、あの、マスター?」
「何だ」
「……ええっと、その、グラスを、そんなに力を入れて磨いちゃうと」
「おいスタンリー! ビール追加だ! ルーちゃんに持って来させろよ!」
 ウィリアムの意見は行き交う声に飲み込まれた。

「……ウィリアム、仕事だ」
「は、はい? ビールですか?」
「掃除だ。あのゴミを片付けてこい」
 ウィリアムは、グラスにひびの入る音を聞いたような気がした。

 すると、そんな賑やかな雰囲気が突如として静まった。水を打ったようにしんとした店内中の視線が集まる入口近くには、二人の若い男が立っていた。

「そ、そろそろお暇するかな……」

 どこからともなくそんな声が聞こえ、数人が席を立つ。

「――構わないさ」

 入口に立つ男のうち、幾分小柄な方が声を上げた。上品なスーツに身を包んだその風体は、いささか店の雰囲気にはそぐわないものだった。

「俺たちの邪魔さえしなければ、好きに飲めばいい」

 制止するように左手を挙げ、眼鏡の奥に不敵な笑みを浮かべる。それは優雅だとさえ言えるような動きだった。店内にいた客連中は引きつったような笑みを浮かべて大人しく席に戻った。それを横目に、二人の男はカウンター席に着いた。

 眼鏡をかけた男の連れは対照的に体格が良く、シンプルで上等なスーツをラフに着ていた。何も知らないルーでさえ二人に異質なものを感じ取り、ちらちらと様子を窺っている。

「これはこれは、大物のご登場か」

 店内で唯一、スタンリーだけが余裕を保っていた。眼鏡の男はカウンターに片肘をつき、ざっと店内を見回しながら呟いた。

「静かでいい店だ」
「ほざけよ、リチャード」

 スタンリーは吹き出し、慣れた様子で毒づいた。ウィリアムはそれを遠巻きに見つつ、他の客のフォローに回っていた。

「いつものでいいかい?」
「いや、今日は何か別なのをくれ。イアンにもアルコールを頼む」

 隣に座る大柄な男に顎をしゃくり、リチャードは言った。それを受けてイアンが小さく息を吐く。

「マスターに任せるよ」

 人柄が滲み出るような、深みのある声だった。スタンリーはひとしきりイアンを見ると、何かを感じ取ったような表情を浮かべて頷いた。

「それにしても、もう少し身だしなみに気を遣ったらどうだ? 仮にも店主がそれじゃ、品位が問われる」

 手際良く作業を進めるスタンリーに、リチャードが声をかける。

「品位なんて、そんなもんを気にする奴はそもそもこの店に来やしない」
「まあ、確かにな」

 カウンターでの軽快な会話とは打って変わり、店内は未だ賑わいを取り戻せずにいた。そのうちに一人また一人と店を去り、店内にいる客が二人だけになるまで長い時間はかからなかった。

「……まったく、嘆かわしいな。ここに来る客ってのはマナーを知らない。この扱いようがむしろ失礼だって気付くような聡い奴は来ないのか?」
「残念ながら」

 手元に二つのグラスを作り上げたスタンリーが答える。

「そう賢い奴はここにゃあ来ないし、何よりあんたらが誰なのかを考えりゃ仕方ないんじゃないか」

 不服そうではありながらも納得したようにリチャードは肩をすくめた。

「お待ちどお」

 カウンターにグラスが二つ並ぶ。一方には茶色がかった乳白色の、もう一方には白銀の液体が注がれていた。

「おいおい、そりゃエッグノッグか?」
「ああ、新メニューだ。アルコールに弱い奴にはぴったりだろ」

 そのグラスは当然のようにイアンの前に置かれた。

「その風体で下戸だってんだから呆れるよ、おまえには」

 リチャードが鼻で笑う。

「……体質だから、仕方ないだろう」

 イアンは大人しくタンブラーを受け取った。

「で、こっちは?」
「ジンとキュンメルにレモンを加えた。辛口に作ってある。あんたの好みに合うと思うが」
「たぶんな。名前は?」
「シルバー・ブリット」

 リチャードは頷きながらカクテルグラスを手に取ると、その輝きを確かめるように眺めた。「悪くない名だ」

「いらっしゃいませ、お二人とも」

 テーブルの片付けを終えたウィリアムが、カウンターに入りながら声をかける。

「お酒だけじゃ体に毒ですよ。何か食べませんか?」
「あいにく、ゆっくり肴にまで手を出す時間はないんでな。おまえの出番はないよ、コック」

 余裕ある態度のままでグラスに口をつけるリチャードに向かい、ウィリアムは残念そうに肩を落とした。

「……あんたの娘さんかい?」

 ほとんど手付けずのままのタンブラーを手の中に抱えたイアンが、スタンリーの方を向いたまま言った。視線の先は、ウィリアムに隠れるように立っているルーに向けられている。

「違う」
「ずいぶんと可愛らしいウェイトレスじゃないか。店主の趣味か?」
「冗談でもそれ以上言うと切れるぞ、リチャード」

 心底楽しそうに笑うリチャードにつられたのか、本心から疑問を投げかけたはずのイアンまでもが笑っていた。それに反比例するようにスタンリーの機嫌はまたしても悪化し、その矛先はウィリアムの後頭部にぶつけられた。

「な、なんで僕がぶたれるんですか」
「なんでてめえまで笑ってんだ」
 そんなやり取りを、ルーが目をぱちくりさせておっかなびっくりというふうに見上げる。ウィリアムは頭をさすりながらルーの肩に手を置き、前に立たせた。

「この子は新人のルーです。とても気がつく子で、住み込みで働いてくれているんですよ」
「……よろしくお願いします」

 ルーははっきりと声を出し、控え目に頭を下げた。それを見つつ、リチャードが少々わざとらしく頷く。

「なるほど。この店にミルクなんて置き始めた理由がわかったよ」
「いいから黙って飲め」

 不愉快そうな声を上げたスタンリーを見て、リチャードはなおも笑い声を上げた。そんなリチャードに、イアンがやれやれとばかりにグラスに口をつける。

「ルー、こちらの二人は……」
「おいおい、どうせまた『こう見えていい人ですよ』なんて紹介するんだろ? 勘弁してくれよ」

 自分の方に差し出されたウィリアムの手をうるさそうに払いのけ、リチャードはグラスを傾けた。真面目な目付きで味を確かめ、頷く。

「味も悪くない」
「どうも」

 スタンリーは当然という顔で頷き返した。リチャードは続けて喉を潤し、ウィリアムには取り合わなかった。隣から聞こえる呆れた溜め息も同様に黙殺した。

「……私はイアン・ガルシアだ。こっちのはリチャード・ロウ。チンピラだと思ってくれればいい」

 さりげなく出されたイアンの言葉に、リチャードはつまらなそうに息を吐き、ウィリアムは残念そうに唇を尖らせ、スタンリーはようやく楽しそうに笑った。ただルーだけがその表情を固めた。

「……ルー?」

 横からウィリアムに覗き込まれたルーは、はっとしてイアンから目を逸らした。イアンは深い眼差しをルーに向け続けていた。

「……私も有名になったものだな」

 顔を上げられずにいるルーから視線を戻し、イアンがグラスを傾ける。そして不意に、イアンは口元を緩めた。

「ガルシア・ファミリーは、こんな小さな店に手を出すほど暇じゃない」

 ルーに向けられたその声は、緊張を優しく裏切った。

「その通り。そもそも、ここが俺たちのシマと呼べるかも怪しいからな。こんな街の外れにあって……利益があるとも思えない」
「黙れよ、お坊ちゃん」

 イアンに続けて笑ったリチャードに、スタンリーはからかうような顔色を変えぬまま言った。それに重なって、ウィリアムがほっとしたように微笑む。

「改めて――俺はリチャード・ロウ。ここら一帯を仕切るガルシア・ファミリーの幹部をやってる。まあ、チンピラみたいなもんだ。こっちのはイアン・ガルシア。名前でわかるだろうが、ガルシア・ファミリーの……」

 そこまで言うと、リチャードは少し思案した。他の皆がそれぞれに次の言葉を待つ。

「……ボス、さ」

 言い切ったリチャードは冷ややかな顔付きでグラスを手の中で弄ぶ。ウィリアムとルーが事態を飲み込めずにいる中、スタンリーは尋ねた。

「……いつから?」
「今から」

 苦笑を漏らしながらリチャードが答える。

「ボスがいないんじゃファミリーの統率も取れたもんじゃない」

 笑みを消したリチャードはグラスを見つめた。その涼やかなカクテルは、頼りなさげに細波を立てている。スタンリーは続けてイアンに問うた。

「看取れたのか?」
「ああ」

 一切の迷いなくイアンが答える。スタンリーもまた神妙な表情を浮かべ、そうか、と呟いた。リチャードは顔色一つ変えずにグラスを口に運んで喉を潤すと、口を開いて明るい声を出した。

「まさかベッドの上で逝けるとは思ってなかったって驚いてたがな。息子に後を任せて、最期はいい顔だった」
「じゃあ、継ぐのか」

 わかり切った声に、イアンが頷く。

「そのつもりだ。今夜中にも広まるだろうな。この店にいた連中も、すぐに知るだろう」
「……この店に来る連中は心配ないさ」
「わかっている。だが、情報はどこから流れ出るかわからないものだろう? だから、リチャードと来たんだ。こいつは、私よりも鼻が利く」
「ついでに頭も切れる」

 隣でそう付け足す本人に、イアンが小さく笑う。スタンリーは納得したように何度も頷いた。

「安心したよ。正直、向いてないんじゃないかと思ってたからな」
「私がか?」
「ああ。……おたくはマフィアやるには優し過ぎる」

 ほんの一瞬の後、イアンとリチャードはそろって吹き出した。会話を聞いていたウィリアムとルーが、きょとんとして顔を見合わせる。

 イアンがグラスをあおり、エッグノッグを飲み干す。空のタンブラーをカウンターに置くと、真正面からスタンリーを見た。

「――大丈夫だよ、私は。あの親父の息子だからな」

 そして薄らと笑い、ひっそりと目を伏せた。

「……そろそろ、行くか」

 隣に目を流し、イアンが呟く。空のカクテルグラスを置き、頷いて応えたリチャードが財布を取り出そうとするのを、スタンリーは手で制した。

「今日は奢りだ。……これからもよろしく頼むよ、ボス」

 イアンが口元を綻ばせ、カウンターから立つ。

「ああ、任せてくれ。……美味かったよ。また飲みに来る」

 同じように席を立ったリチャードが、グラスの縁に指を滑らせて誰へともなしに呟く。

「シルバー・ブリットね……銀の弾丸の魔除けが効くことを祈るよ」

 その指で眼鏡を正し、カウンターの三人に向かって微笑んだ。

「いい夜を、お三方」

 そして二人は入ってきた時と同様の威風堂々とした姿を闇の中へと投じた。ドアから下がるベルの音が止むと共に店内には静寂が戻り、スタンリーは二つのグラスを片付けた。

「おい」

 残る二人の店員に声をかけながら、スタンリーは新しくグラスを出して薄く色のついた酒を注いだ。

「おまえらも飲め。……弔い酒だ」

 無人のカウンターの上に新たに三つのグラスが並ぶ。ウィリアムとルーがそれぞれに手を伸ばして取ると、三人はグラスを掲げた。そしてそのまま無言で唇を濡らした。

 唐突に、外の闇から天を劈く破裂音が響いた。突然の銃声に、ウィリアムとルーが体を強張らせる。それが誰の胸を貫いた銃声だったのかは、誰にもわからなかった。スタンリーは溜め息を一つ吐き、飲みさしのグラスをもう一度掲げた。

「新しいボスに、乾杯だ」




エッグノッグ【egg nog】
ブランデーとラム酒に卵を加え、ミルクで割る冷たいカクテル。疲労回復のカクテルとして人気がある。

シルバー・ブリット【silver bullet】
@ジンとキュンメルとレモンジュースを混ぜ合わせたカクテル。度数は高め。
A銀の銃弾。吸血鬼退治などに使われる、魔除けの弾丸。







  了









return to contents...