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まちがいさがし -page1

 当たり前だと思っていることが唐突に覆されると、人はまず驚くよりも先に唖然とするものだ。例えば、お淑やかだと信じて疑わなかった年下の可愛い(体つきは華奢で肌は白く、何より僕好みの長く綺麗な黒髪で本当に可愛い)彼女に、電話越しに「悪いけどあんた飽きたから別れるわ」なんて言われた日には、魂が抜ける。絶対に抜ける。

「妹なの」
 まだ若干魂が抜けたままの僕を大学の学食に捕まえて、月子は言った。
「私の携帯電話に保さんから電話が掛かってきたのを見て、妹が、勝手に出ちゃったの」
 彼女はいつもこんな感じにぽやぽやと喋るのだけど、明らかに思考能力が落ちている今の僕にはいっそ丁度いいペースだった。
「いもうと、さん? いるって、初めて聞いたんだけど」
「うん、初めて言ってます」
「間違いなく月子の声だと思ったんだけど……」
「双子なの。一卵性。声も同じなのね、よく間違われるくらい。わからなくてもしょうがないと思う」
 電話を変わる前に切られてしまったとか、掛け直そうにも電話を持って逃げられてしまったとか、勝手に着信拒否の設定に変えられていて直し方がわからなかったとか、月子は両手で持ったお茶を飲み飲み説明する。
「普段は勝手に電話に出るようなことしない子なんだけど、保さんの名前見て、かっとなっちゃって」
「かっとなった?」
「私が誰かと付き合うと、いつもそうなの。ちょっといじわるになって。でも可愛いんですよ。元気で、賑やかで。保さんも、会ったらきっと仲良くなれると思うんですけど」
 仲良くなれるかどうかはさておき、確かに別人だったと考えた方がしっくりきた。声こそ同じだったものの、態度の違いは豹変したにしたってちょっと行き過ぎている。僕の精神衛生を鑑みても、そう考えた方が良さそうだった。
「仲、いいんだね」
「うん」
 そう返事をする月子は眩しいくらい朗らかに笑っていて、やっぱりあの電話の向こうにいたのと同じ人だとは思えない。
「ええと、ごめんなさい。驚かせちゃったでしょう? 月乃ちゃんには、ちゃんと言っておきましたから」
「月乃ちゃん、って言うんだ」
「そう。二人とも、月夜の晩に生まれたから。私が三日月で月乃ちゃんが満月、なんて言ったりしてるんですよ。二人、同じなのに全然違うから」
「そっくりだけど似てないってこと? 一卵性でも性格は違ったりするみたいだけど、そんな感じなのかな」
「そう、月乃ちゃんは格好良いんです。私はどっちかというと守られてばっかりで。小さい頃もね、一緒に遊んでて男の子にいじめられたりすると、月乃ちゃんが助けてくれたんですよ。それが本当に格好良くて」
 さしずめ、僕はそのいじめっ子だと思われているんだろう。撃退された男の子は、好きだからいじめちゃうってこともあっただろうに。
「双子ってことは、同じ歳だよね。大学生?」
「うん、ここの大学ですよ」
「え、そうなの? それで今まで会ったことなかったっていうのは……ひょっとして、避けられてた、かな」
「ええと、たまたま、じゃないでしょうか。ほら、学科が違うと会わなかったりするし、保さんは学年も違うし……」
 そう言いながらもそうでないと知っているのが見て取れた。本当に、月子は嘘が下手だ。
「……保さん、今日、暇ですか?」
「今日? うん、空いてるけど。バイトもないし、授業も終わったし」
「だったら、うちに来ませんか?」
「月子の家?」
 付き合い始めて三ヶ月、実は今まで一度も行ったことがなかったので、ちょっとときめいた。
「月乃ちゃんと一緒に住んでるんです。先に帰って待ってたら、きっと会えると思うから」
 今まで行ったことがなかった理由がわかったところで、さて次の問題だ。
「……歓迎してもらえるかな」
「……たぶん」
 さすがの月子でも、そこは断言できないようだ。どうやら大分手強いらしい。
「でも、仲良くなってくれたら、嬉しい、です」
 月子の上目遣いに(背が低いからいつもそうなんだけども)めっぽう弱い僕としては、そう言われて断れるわけがなかった。
「わかった、行かせてもらうよ。僕も月乃ちゃんに会ってみたいしね」
 返事代わりの満面の笑みを見て、よし、と気合を入れ直す。彼女の妹と仲良くなれれば、彼女との仲も進展するかもしれない。いや、断じて下心はないにしても、月子が笑ってくれるならある程度は頑張れる。それくらいの威力が彼女にはあった。
「あ、保さん、携帯電話の番号、また教えてもらえますか? 月乃ちゃん、登録してたのまで消しちゃって」
 壁は、なかなか、高そうだけども。

 初めて訪れた月子のアパートは、大学から徒歩圏内で二階の角部屋、目の前には小さいながら交番まである、かなりの好条件な物件だった。
「お邪魔します」
「はい、どうぞ」
 中に入った感じも、決して広いわけではないが女の子が二人で住むには手頃に思えた。脚の短いテーブルに座布団が二つ。流しには揃いのカップが仲良く並んでいる。姿見がひとつだけあって、同じ格好の二人が代わる代わる鏡を覗き込む様子が頭に浮かんだ。
「いい部屋だね」
 姉妹の分しかないという座布団を丁重に辞退して(僕らで使っては後が怖い予感がした)、薄いカーペットにあぐらをかく。部屋の中をぐるりと見回しながら、なんとなく、月乃ちゃんの方がこの部屋に決めたのだと思った。しっかりしてるんだろう、月子の分も。
 インスタントコーヒーのおまけみたいなカップを預けられ、二人で取り留めのない話をしながら月乃ちゃんの帰りを待った。経過時間に比例して、否応なく緊張が高まる。月子はわくわくしているのか、終始にこにこしていた。いや、彼女も緊張を紛らわすためにそう振舞っているだけかもしれない。ともあれ、何を話していたのかよく思い出せないような時間だった。
「もうすぐ帰ってくるよ」
 しばらく経ってから、月子は不意にそう呟いて、スカートの裾を緩やかにひるがえしつつ立ち上がった。連絡が来たわけでもないのに、僕の二杯目と一緒に二人分の紅茶を用意し始めている。予言めいていると茶化すより先に、玄関でドアの開く音がした。生憎と、月子はまだキッチンだった。
 目が合うと同時に、僕はやはり唖然とした。次いで、キッチンを見返した。そこに確かに月子がいることを確認して、もう一度玄関を向く。細身のジーパンを履いているカジュアルな立ち姿は、月子には珍しい。
「――月子!」
 叫んだのは僕ではなかった。聞き慣れた月子の声。いや違う、月子ではない。
「なんであんなの連れ込んでんの! うちには連れて来るなって言ったじゃん!」
 月子がこんなことを言うわけがない。断じて月子ではない。僕には目もくれずに、月子と同じ長い黒髪をなびかせてキッチンまで駆け上がった女の子に、本物の月子が振り返った。
「おかえり、月乃ちゃん。レモンティー、飲むでしょ?」
 全く動じずに、笑顔で揃いのカップの片割れを差し出している。渋い顔ながらもカップを受け取った月乃ちゃんは、勢いを収束させて居間に戻る。さすがだ。さすがですよ、僕の彼女は。
「保さんも。ブラックです」
「うん、ありがとう」
 結局座ったままだった僕のところまでカップを届けて、月子は笑う。この笑顔に勝てない気持ちは、実によくわかる。たとえ自分と同じ顔だったとしても、内側から滲み出るものがあると言うか、マイナスイオンか何かが出ているとしか思えない。
「月子はこっち」
 僕の向かい側に座布団を二つ並べて、月乃ちゃんが言う。やっぱり座布団を使わないでいたのは正解だったようだ。
 月子が隣に座ると、まさしく、鏡合わせだった。
「で、何しに来たの」
 服装の違いよりも、表情の作り方が一番の違いだった。顔の作りが同じなのにおかしな話だが、本当なのだから仕方がない。同じなのに全然違う、とはよく言ったものだ。その正反対振りまで含めて、鏡合わせと言うに相応しい。
「何しにって……その、月乃ちゃんに紹介してもらうため、かな」
「気安く呼ばないで」
 ある意味テンプレート通りとも言えるような毛嫌い振りに、いっそ胸がすいた。ここまで正面切って嫌われる体験なんてそうそうない。いや、まるで嬉しくはないんだけれど。
「月子、本当に、こいつ?」
「うん。月乃ちゃんも、この間電話で声は聞いたでしょ? この人が、今お付き合いしてる、保さん」
 カップを傾けてミルクティーを飲んでいた月子が応える。飲み物といい、僕への反応といい、好みが違うのは明らかだ。
「よろしく、お願いします」
 カップを置いて、小さく頭を下げながらそう言ってみる。とりあえず、歩み寄るしかない。
 月乃ちゃんは僕から視線を外し、レモンティーを見つめて、美味しく頂いた。
「ねえ、月子」
 無視、は、その、困る。僕だってそんなに社交的なわけではない。果たして、歩み寄りで近付けるだろうか。それ以上の速さで逃げられているとしか思えない。
「あたしが電話で話してたの、聞いてたでしょ? 月子のふりして出たんだけど、覚えてる?」
「そりゃあ覚えてるよ。隣にいたんだから」
 脳内で、ぎくり、と鳴る音がした。そう、あの時はじめは月子だった。いや、月子だと思っていた。だからいつも通り、油断して、気楽に話し掛けたのだ。次のデートの件で掛けていたものだから、浮かれてもいた。そのタイミングで、あれだ。心が割れてもおかしくないんじゃないかと思う。僕の側に立って言えば。
「あたしは、あたしと月子の区別もつかない奴なんか、認めない」
 来た、と思った。内心は、全然違うくせに真似るからだろ、と悪態も吐きたいところだったが、元々あった罪悪感がそれを押し退ける。
 月乃ちゃんの言う通り、僕は、二人を区別することができなかった。
「でも、そんなの。電話だったら、お母さんだって間違うことあるじゃない」
「それでも許せない。あたしだったら嫌だもん、自分の彼女もわかんないなんて」
 ごもっとも、なのである。双子の兄弟なんていないけど、僕だって嫌だ。
「それは、本当に、ごめん」
 悪いことをしたとは心底思っているので、脳裏に浮かぶ様々な言い訳をどうにか飲み込んで、それだけ言う。
「ほら、保さん、謝ってくれるもの。素敵でしょ?」
「謝れば済むと思ってるんじゃないの。月子、優しいから」
「そんなことないよ。優しいのは、保さん」
「甘いってば、月子。そんなだからこういう適当な男に引っ掛かるんでしょ」
「適当じゃないってば。ちゃんと選んでるよ」
「消去法とか?」
「違うってばー」
 うちには男兄弟しかいないので、こういういかにもな女の子同士のやり取りを間近に見るのは新鮮だった。どこで口を挟んでいいのかさっぱりだったので、黙ってコーヒーを飲む。空になるのを恐れてじわじわ舐めていたのだけれど、無駄な抵抗というか、会話の種よりもコーヒーの方が尽きるのは圧倒的に早かった。
「あんたも何か言ったらどうなの。他人事みたいな顔しちゃって」
 不意にそう言われ、一瞬、どちらに声を掛けられたのか判別に悩んだ。もちろん、月乃ちゃんに決まっているのだが。
「いや、二人で話してるの、楽しそうだったから」
 嘘ではない。女の子の会話に男の口出しは無用だ。同じペースで話せるとは思えない。何より、いつもより活発に話す月子を見てるのは何だか嬉しかった。
「月子から聞いてはいたけど、仲いいんだなあと思って。邪魔できなかった」
 歩み寄り歩み寄り、と口内で唱えながら精一杯の笑顔を見せる。年上の落ち着きとか余裕なんてものを見せるなら今だ。今しかない。
 しかし、返ってきたのは呆れたような溜め息だった。
「可愛いとか子犬みたいとかは百歩譲っておいて置けるとしても、こいつが頼りになる殿方だって言うのは、月子の感性疑うよ」
 どういう言われ方をしてるんだ、僕は。

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