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ここはとある台所 -page1

 ここはとある台所。どこにでもあるような、どうってことない台所です。どうってことあるのは、三十年ものの棚に収められた食器たちでした。
「ねえ、フォークさん」
「なんだい、スプーンさん」
 だいぶ使い込まれた洋食器が寄り添っています。揃いのものなのか、同じ刻印が刻まれていました。
「わたしたち、いつも一緒よね」
「ああ、そうだね。よくセットにされるよね」
「どうしてかしら」
「そりゃあもちろん、僕たちはお互いの足りないところを補い合うベストパートナーだからさ」
 フォークはそんな台詞を照れもせず言ってのけました。スプーンは喜んでいるのか呆れているのか、黙っています。
「僕たちが一緒にいれば、敵なんていないよ。無敵、すなわち最強のカップリングってことさ」
「……本当にそう思ってる?」
「もちろんさ。僕は君に嘘なんかつかないよ」
「じゃあ……」
 今まで甘えた声で喋っていたスプーンの目の色が変わり、フォークを見据えました。
「ナイフともう会わないでよ」
「え」
「昨日、一緒にいたでしょ。知ってるんだから」
「いや、あれは……」
 スプーンはフォークの言葉なんか聞きやしません。
「ナイフなんかといると、あなたいつか傷つくわ。あんな危ない奴……ねえ、私、あなたのために言ってるの。わかるでしょう? だって、私たちは固い絆で結ばれているものね。ね、私がいるじゃない。私はあなたがいれば他には何もいらないわ。あなたは?」
「あ、いや、だから……」
「私たち、お互いを補い合うベストパートナーなんでしょ?」
「う」
「無敵、つまり最強なんでしょ?」
「…………」
 フォークはついさっき自分で言った言葉に首を絞められてたじたじでした。スプーンはそんなことお構いなしに(それとも狙っているのか)「ね? ね?」としつこく答えを求めています。フォークは、声高らかにスプーンの要求を飲むのとごまかし続けるのと、どちらが安全かを考えていました。内心は、このままスプーンが答えを諦めてくれたら、と思っていましたが、スプーンはそんなに甘い女ではありませんでした。そう易々とフォークを逃しはしません。フォークもまた、そう簡単に自分を売り渡すことはできませんでしたが、どうやらフォークが折れるのは時間の問題のようです。
「――うるさいわね」
 救世主登場。スプーンにとっては憎き敵の登場です。
「黙って聞いてれば勝手なことばっかり言ってるじゃない」
 そう、ここは食器棚。同じ引出しに入れられているのですから、会話は筒抜けです。それでもごまかそうとしたフォークはただの考え足らずでしたが、ナイフに聞かれているのを念頭に置いて喋っていたスプーンは計算高い頭を持っていました。
「あら、ナイフさん。いたの」
「いるに決まってるでしょ。この家の食器は全部この棚に入ってるんだから。いけ好かない娘ね」
 すでに火花を散らし合っているスプーンとナイフに、フォークはすっかり怖気付いていました。ナイフを救世主だと思ったのは早合点だったようです。このままではカタストロフが起きかねません。
「フォーク、昨日の夜はよかったわ」
 ナイフの火に油を注ぐ台詞に、フォークは返事ができませんでした。恐くてスプーンの方を見れません。
「あたしが切ったステーキから滴る肉汁……そこに自らを突き刺すフォーク……あんな刺激的な夜は久し振りだったわ」
「滅多に使われないってだけの話でしょ」
「ひがむのはよしてくれない? いくらフォークとの関係がマンネリしてるからって、見苦しいわよ」
 女の争いは壮絶です。からだは金属でも、心はしっかり女なのです。
「ひがむのはそっちの方でしょ。私とフォークさんはベストパートナーなんだから」
「ベストパートナー? それってどういうことよ?」
「どういうって……無敵で最強のカップリングってことよ。とにかく、フォークさんがそう言ったんだから。ね、フォークさん?」
 あーとかうーといった言葉にならない返事しかできずにいるフォークと、否定したら何をするかわからないスプーンを、ナイフは鼻で笑いました。
「何よ! さっきからむかつくのよ、あんた!」
 スプーンはすっかり臨戦態勢です。
「あなたとフォークが最強のカップリング? 本当にそう思ってるの?」
「どういうことよ!」
「考えてもみなさいよ。あなたたちが力を合わせるなんてこと、ある?」
 スプーンははっと息を呑みました。フォークはいまいちわかっていないようで、ぽかんとしています。
「あなたがカレーをすくう時、フォークは休んでる。フォークがサラダをさす時、あなたはお休み。それでパートナーなんて呼べる?」
 ああそういうことか、とフォークは納得したように頷きました。スプーンはそんなフォークには目もくれず、何事かを考えています。
「――スパゲッティよ!」
 そう叫んだスプーンに、フォークは再び困惑しました。
「スパゲッティを食べる時、私の上でフォークさんが麺をくるくるって巻いて食べるじゃない! あれこそ私たちのパートナーシップの証よ!」
 明らかに苦し紛れな反論をするスプーンに、ナイフは冷やかに言い放ちました。
「あれは和製の邪道な食べ方よ。パスタの本場じゃ誰もやらないわ」
 スプーンはぐうの音も出ません。しかし、ぎゃふんとだけは言ってなるものかと黙って反撃のチャンスをうかがっています。
「あたしとフォークは一心同体だわ。フォークが押さえてあたしが切る。あたしが切ったものをフォークが刺す。昔からずっとそうやってきたのよ。これでわかったでしょう? フォークのベストパートナーは、あたしだわ」
 ナイフは勝ち誇ったふうに笑いました。スプーンの表情はうかがい知れません。
「……そうね。よくわかったわ」
 ナイフはスプーンの微妙な変化を見逃しはしませんでした。フォークは相変わらずわけがわからず取り残されています。
「あんたがいかに役立たずかってことがね」
「……なんですって?」
 どうやら今度はスプーンが笑う番のようです。スプーンは焦らすように笑うばかりで、なかなか核心に触れません。
「なんだっていうのよ。はったり? 悪あがきはやめたら?」
 ナイフは好戦的に言い返しますが、スプーンにはへのかっぱです。
「まだわからないの? いいわ、教えてあげます」
 それはそれは慇懃無礼な態度でした。
「あんたはね……フォークさんがいなきゃ何もできないってことよ!」
 今度ばかりはわかったようで、フォークはしたり顔です。けれどスプーンはそんなのお構いなしに説明を始めました。どうやらナイフに更なるダメージを与えたいようです。
「そりゃそうよね。フォークで押さえなきゃあんたは何も切れやしない。所詮、単品じゃ役に立たないのよ。この際フォークさんなんてどうでもいいわ。だって私はフォークさんなんていなくても役に立つもの!」
「え」
 口を挟むのもためらわれるような言い争いから開放されたフォークでしたが、スプーンの言葉はどうにも腑に落ちませんでした。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 気弱な発言をしたフォークを、スプーンとナイフは気合で凄みを利かせました。フォークはびくびくしながらも言いました。
「単品でも役に立つっていったら、僕だって結構いい線いくと思うんだけど……」
「――うるさいわね!」
 スプーンとナイフは見事なユニゾンを見せました。
「スープもすくえないくせに!」
「肉も切れないくせに!」
「だ、だって……」
「黙れ!」
 ひょっとしたらスプーンとナイフがベストパートナーなのではないかと疑いたくなるほどの息の合いようです。とてつもない迫力がフォークを襲いました。
 しかし、どうしたことでしょう。なんとフォークは勇敢にも彼女らに挑んだのです。
「じゃ、じゃあきれいにサラダを食べてみせろよ! スパゲッティを食べてみせろよ! 肉でも何でも刺してみろよ!」
 前に彼女らが言った問題でまとめられているのがなんとも情けありませんでした。
「あたしは人を刺せるわ」
 ナイフはぎょっとするようなことを言い出しました。
「私だって目玉を刳り貫けるわよ!」
「僕で引っ掻いたら痛いぞ!」
 三本とも目的を見失っていました。
「……まったく……醜い争いはやめたらどーお?」
 ジャジャーン。そう自分で言いながら、いかにももったいぶって新顔が登場しました。三本はその正体に、合わせて声を上げました。
「――先割れスプーン!」
 まったくもって新しくない新顔でした。
「あんたたち、不毛ないさかいはやめなさいよぅ。聞いてるこっちが胸クソ悪くなっちゃうわぁ」
 スプーンとフォークの中間型である先割れスプーンは、口調も中間型でした。
「黙ってなさいよ! あんた、キモいのよ!」
「ま」
 スプーンの厳しい言葉も何のその。先割れスプーンはタフでした。
「ちょっとスプーンちゃん、そういうことはアタクシの姿を見てから言ってくれるぅ?」
「それがキモいっつってんのよ!」
 一度ヒートアップしたスプーンを止められる者は誰もいませんでした。
「……とにかく、何が言いたいわけ?」
 スプーンとは逆にクールダウンしたナイフが尋ねました。ちなみにフォークは度肝を抜かれて固まっています。
「よくぞ聞いてくれたわ、ナイフちゃん。やっぱりあんたは素敵だわ。どーお? アタクシのパートナーになってくれない?」
「いいから、言う」
 ナイフは聞き流しました。
「冷たいコ。アタクシ泣いちゃうわよ」
「さっさと言いなさいよ!」
 スプーンはマジギレ寸前です。下手に自分と似た姿が癇に障るのでしょう。
「つまり……一番役に立つのはアタクシだってことよ!」
 三本は少しうんざり気味でした。
「アタクシは刺せるしすくえるわ! ナイフちゃんみたいに鋭い刃はないけど、日常的にはなくたって充分! なんてったってアタクシは給食のマブダチよ! それこそが万能の証じゃなくて!?」
 語尾が裏返るほどの勢いで先割れスプーンはまくし立てました。三本はげんなりしました。
「……昔の話じゃないか」
 フォークのその呟きは、先割れスプーンのボルテージを下げるのに充分過ぎるほど充分でした。
「あんたの形は中途半端なのよ。不衛生だし」
 スプーンの言葉が先割れスプーンの胸を貫きました。
「ところで、あなたはどうしてここにいるの?」
 ナイフの台詞がとどめでした。
「……ここの家の主婦は……物持ちがいいのよ……」
 先割れスプーンはタフでありながらナイーブでした。
「……あの頃に戻りたい……アタクシが輝いていたあの頃に……」
 そう言い残して、先割れスプーンは沈黙しました。その姿は確かにくすんで見えます。

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