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銀兎の夜 -page1

 およそ日が落ちたとは思えないほど見事な満月に照らされた夜だった。行灯も提灯も使えない身としてはありがたいと思いつつ、克一はちらと上げた視線を戻した。その先は米蔵、克一の雇い主である、ここらの地主の持ち蔵である。この明るさならば賊も仕事がしやすかろう、そこを打つ。克一は物陰に身を潜めたまま、腰の二本差しが音を立てないよう、じっと待った。
 夜風は近頃冷たさを帯びてきたが、賑やかな虫の鳴き声に彩られて寒々しさは感じない。待ち伏せをするには悪くない夜だった。
 程無くして、米蔵の側に影が差した。影は手近な樹木に手足をかけ、するりと登っていく。その枝端を重みでしならせると、丁度空気取りの小窓に側近くなり、いつの間にか手にしていた太めの棒切れで窓枠を器用に外すと、影はそこから蔵の中へと飲み込まれるように消えた。滞りない仕事振りに、いっそ感嘆しながら、克一は立ち上がり、蔵に寄った。
 うるさい音を立てぬようにそっと閂を外して扉を開けると、月明りが蔵の中を両断した。背を明るく照らされた盗人は、直ぐ様身を翻したが、暗がりに逃げ込むより一瞬前に克一の腕に捕まり収まった。両腕に収まる大きさだったのである。
「おまえ、どこの童だ」
 腕を振り払おうと暴れるのを押さえ込み、克一は問うた。すると、
「童ではない! 失敬なことを申すな!」
 そう叫び、勢い込んで振り向いたのは、七五三も終わらぬと見える女子だった。とはいえ、その姿はいかにもみすぼらしく、克一の手に伝わる着物の手触りもざらりとしてごわついていた。ただの一枚布を麻紐でくくり付けただけのようで、端々も擦り切れ、全く女子らしからぬ様相であった。
「……けったいな口聞きをする童だ」
「童でないと言っておろうに! ほれ、頭を見てみい! 角があるじゃろが!」
 克一の前にぬっと頭が突き出される。手入れなど無縁な、暴れ回る髪の塊だ。そのぼさぼさ頭を掻き分けると、確かに瘤のような低い角がある。固いがしかし鋭利ではない。獣の子どもの耳のような二本角だった。
「儂は泣く子も黙る鬼じゃ」
 克一が角を認めたのを見て、童女は不敵にそう言うと、そのまま頭を克一の顔目掛けて突き出した。頭突きが鼻面に入り、うっと呻いて手が緩む。童女はその隙をついて再び身を翻した。が、克一が力を込め直す方が僅かに早く、結局童女が逃げ切ることはかなわなかった。
「このところ蔵を荒らしていたのはおまえの仕業か、鬼子」
 痛みのためか幾分語気を荒げ、克一は問うた。しかし鬼子は顔をぷいと背け、むつけて見せるばかりで返事をしようとはしない。
 克一は鬼子の体をひょいと抱え直し、尻叩きをする格好にして、手を構えて、再び口を開けた。
「いつも蔵を荒らすのはおまえかと聞いている。今白状すれば仕置も軽いぞ」
「…………」
 克一はひゅっと音を立てて手を振り上げた。
「まっ、待たんか! 何をする気じゃ!」
「猿のような尻になりたいのなら黙っていればいい」
「待てと言うに!」
 手はそのままに、克一は鬼子の顔の方を向いた。まるきり不愉快満面な、眉根を寄せて唇を固く尖らせた顔をしている。
「……鬼とて腹も減る。いいじゃろう、これだけあるのだし」
「山程あるなら盗んで善いと、そう父母に教わったか」
 不意に、鬼子のしかめ面が更に歪んだ。
「父母など知らぬ。儂は儂だけで生きてきた。誰にも文句など言わせぬぞ、儂は儂の生きたいように生きるのじゃ」
 無理繰り体をねじり、克一を睨み付けた鬼子の顔は、やはりただの童女のように見えた。少なくとも克一はそう思ったし、人であれ鬼であれ童女であることに違いはないようだった。
「おまえ、名は何と言う」
「おぬしなぞに名乗る名は持ち合わせてはおらぬわ。名を呼ぶは、支配するに等しいのじゃぞ」
「……なら別にいい」
 面倒臭そうに首を振ると、克一は振り上げたままだった手を振り下ろし、尻を張った。んぎゃっという短い叫びが蔵の中に響く。
「何をするか! 儂はちゃんと答えたろうが!」
「盗みは、してはならんことだ。一度で済むなど軽い仕置だろう」
 そう言いながら鬼子を抱え上げて、さっさと蔵を出、閂を下ろす。米は手付かずであったし、言われなければ盗人が出たとはわからないだろう。
「ええい、離せ! 離さんか!」
「いいから黙って運ばれろ。腹が減っているんだろう」
 抱え上げられていてはどうにもできずに、それでも大分暴れはしたが、鬼子は運ばれるままに蔵を離れる羽目になったのだった。

 辿り着いたのは、小ぢんまりとした長屋だった。無造作に引き戸を開けると、そこにはただ静寂だけがあり、薄らと埃を被った畳が毛羽立っているのが見て取れた。
「おとなしくしていろよ」
 克一は鬼子を畳に下ろし、ひらべったい座布団に座らせた。鬼子は小さく胡坐をかき、物珍しそうに首をぐるぐると回している。
「座敷童のようだな」
 克一がそう呟くと、鬼子は苦笑で返した。
「笑わせるでないぞ、このぼろ長屋のどこに座敷がある」
 遠慮など微塵もない。克一は呆れたように、あるいは感心したように、肩をすくめてみせた。
「確かにこの長屋はぼろいが、おまえには負ける」
 克一はそう言い捨て、押し入れの襖を開けた。奥から行李を引き出し、着物を一揃い取り出す。
「……おぬし、随分と貧相なものを着ている割に、なかなか立派なべべを持っているんじゃな」
 差し出された着物を見て、鬼子は素直に呟いた。
「いいから早く着替えろ。着物の着方もわからんのか」
「失敬な!」
 そうは言うものの、着物を広げる鬼子の手付きは全く覚束無く、ただ羽織って腰に帯をぐるぐると巻き付けるばかりであった。見兼ねて、克一が手を出す。肌が乾いた泥と砂に塗れていたので、一度赤裸に剥き、濡らした手拭いで体を拭いてやってから、きちんと着せてやった。その間、鬼子はすっかりおとなしくしていた。顔だけがしきりに歪んだ。
「……落ち着かんのう」
 もぞもぞと体を揺らして鬼子が言う。克一はわずかに目を細めた。
「そのうち着慣れるだろう、それはおまえの着物だ」
「……まあ、悪い気はせんのう」
「そんな着物でも売れば食い扶持にはなる、いい子にしていろよ」
 続けて克一は箪笥の引出しを引き、そこから飴色の櫛を取り出した。鬼子を手招き、再び座布団に座らせる。その後ろに着いて、髪を梳いてやると、やはり鬼子はおとなしくいうことを聞いた。
「……おぬしは変な奴じゃ。どうしてこんな、鼈甲の櫛なんぞ持っておるんじゃ?」
「女房のもんだ」
「……ずいぶんと掃除の下手な女房じゃな」
 長屋をきょろきょろと見ながら呟く。弾みで髪が引かれるのに鬼子が呻くと、克一は溜め息混じりにその頭を正面に向かせた。
「もういない」
 或いは、溜め息はそのせいかもしれなかった。
「娘は?」
 何の気なしに鬼子が続けて問う。
「この着物、娘のものではないのか」
「もういない」
 振り返ろうとする鬼子の頭を押さえ、克一は繰り返す。言い慣れたふうに、繰り返すことに飽いたふうですらある。
「言ったろう、それはもうおまえの着物だと。この話は終いだ」
 そうこうしているうちにすっかり梳き終えた鬼子の髪を、克一もさすがに結うのまでは長けておらずにひとつに括ると、遠巻きに見るにはそこらの童女となんら変わらない出で立ちとなった。
「ようやく見られる格好になったな、鬼子よ」
 自分の出で立ちを、綺麗に揃った着物の裾や揺れる袖を、まじまじと見つめている鬼子をそのままに、克一は水場に立った。釜から粟混じりの冷えた飯を掴み取り、大雑把に握る。背丈に阻まれて何をしているのか見えなかった鬼子は、たまらず克一の横へと跳んだ。
「飯か」
「夕餉にしては遅いがな。俺も腹が減った。ろくなものはないが、生米よりはいくらか増しだろう」
 鼻をひくつかせた鬼子が克一の手元を見ようと背を伸ばす。
「心配せんでも二人分だ」
 減らず口が返ってくるかと思いきや、鬼子はむつけたように押し黙った。それを横目に大ぶりのと小ぶりのとふたつの塩握りをこさえると、ぼそりともれる声が聞こえた。
「何故儂を匿う? 捕らえて突き出すがおぬしの仕事じゃろうに」
「なんだ、突き出されたいのか」
 鬼子は咄嗟に首をぷるぷると振る。拗ねた子どものそれのように、口を尖らせ、うつむいて、沈んだ顔を見せた。
「なら構わんだろう。気にするな、ただの気紛れだ」
 そうと言われてもすぐに機嫌が直るわけでもなし、鬼子は着物の裾を握り締めて克一に挑むような目を向けた。
「気になるなら、これを洗ってくれ」
 視線を断ち切り差し出されたのは、一本の見事な胡瓜だった。
「味噌をつけて食う。うまいぞ。手伝いに褒美をやるなら、施されても構わんだろう」
 言いながら、水を張った桶を童の届く高さに置いてやる。鬼子は暫時胡瓜をにらみつけていたが、観念して掴み取ると、桶に放り込んでざぶざぶと洗い出した。
「胡瓜が好きなのは河童だったか」
「……おぬし、いい性格をしておるの」
 ふてくされながらも手は素直に胡瓜を洗っている。その頭に手を乗せ、撫でるように叩いてやると、ようやく諦めた様子でおとなしくなった。
「おぬしのこと、何と呼んだらいい」
「好きなように」
「名を教えろと言っておるのじゃ」
「それは支配を意味するんじゃなかったか」
「つべこべ言わずに教えんか!」
 もうすっかり慣れた調子でのやり取りに、少なからず、克一の機嫌も良くなりつつあった。
「克一だ」
 それを聞いて鬼子は、ふむ、と不敵に笑った。
「克の字じゃな」
 桶から胡瓜をざんぶと取り出す。飛沫が辺りに散ったが、それを気にかける必要のあるような整った水場ではなかった。
「ここに住んでやっても構わんぞ、克の字。ただ黙って居るだけの座敷童なんぞより、おぬしも嬉しかろう?」
 そう言う手の中で、すっかりきれいになった胡瓜が、透き通った雫を誇らしげに滴らせていた。

 鬼子との暮らしは、順風満帆だった。克一は元より辺りの人々と繁く交わる質ではなかったし、鬼子の方も騒ぎ回るでもなし、克一以外にちょっかいを出すこともなかった。おとなしくしていれば、角がある以外、特別鬼らしいことはない。
 自然、二人でいることが増えた。
「なかなかの業物じゃな」
 刀の手入れをしている時に限った話ではなかったが、鬼子はよく克一の動きに目を留めた。
「刀の良し悪しがわかるのか。だがこれはさして上等の拵えでもないぞ」
 それが謙遜だという程の刀ではなかった。事実、それなりの店へ出向けば手に入れられる程度で、良いところを挙げるとすれば克一の手に体の一部の如くしっくりと馴染んでいることくらいだった。
「それだから駄目なのじゃ、刀の良し悪しを決めるのは何も刃の輝きだけではないのじゃぞ。打った者の魂、使う者の魂が、如何に込められておるかじゃ。じゃから、業物と褒めてやったというに」
「そうか、褒めていたか」
「褒めていたとも。その二本、大事にするが良い」
 内心、克一はあながち的外れではないと思った。父から受け継いだこの刀を腰に差していると、振るうと振るわないとに関わらず気は引き締まるし、鋭気も萎れずに済んでいるように感ぜられたからだった。
「おぬしには、ちと勿体無いような気もするがのう」
「おまえ、一言多いぞ」
 克一が不機嫌に眉をしかめると、鬼子はけらけらと笑った。
「まったく、これだけの刀を持ちながら浪人風情とは、よくわからん」
 刀の手入れを切り上げると、克一は二本を腰に戻し、すっと立ち上がった。
「仕事に行ってくる」
「仕事? 克の字、おぬし、暇を言い渡されたんではなかったか?」
「おまえの件とは別口だ。奴さんは溜め込んでるだけあって用心深いし、小心なんでな。用心棒だけでも色々とある。そも、米蔵に出る盗人もまだ捕まっていないんだ、疑心にもなる」
 そう言って何の気なしに鬼子の方に目を戻すと、当の鬼子は眉根をきつく寄せて克一を睨んだ。
「儂は食っておらんぞ!」
「別におまえがやったとは思ってない。そうならないためにここに住まわせているんだしな」
 顔にいくらか不機嫌を残したままの鬼子は、ふんと鼻を鳴らし、もっともらしく腕を組んでみせた。
「あれだけ溜め込んでおれば、儂以外にも馳走になろうとする輩の一人や二人おるじゃろうて」
「存外、間の抜けたところがあるしな。蔵に鍵を掛け忘れたり、そこらの童でも簡単に忍び込める時がある」
「ああ、あったあった。あれじゃあ守る方も難儀じゃろうに」
「全くだ」
 相も変らぬ仏頂面の克一に対して、鬼子は機嫌を取り戻して破顔した。
「いい加減捕まらんのでな、何でも妖術使いの類を呼び寄せたらしいぞ。米がなくなるのは呪いやら妖怪やらの類のせいだと言ってな」
「妖術使い? また異なものを」
「そうか? 俺はなかなかに目が高いと感心したがな」
「妖術使いなんぞ、眉唾じゃ。ただの人間風情に何ができるわけでもないのじゃからな」
「まあ、そうだな。俺が見たのも蒼白いただの坊さんだった」
 克一が土間に下りると、鬼子は足を鳴らして後ろに着いた。克一が家を出ようという時、鬼子はいつもこうした。見送りのつもりであるらしい。
「いい子にしていろよ」
「何もせずとも儂は良く出来ておる」
 こんな減らず口に、頭を軽く叩いて応えるのも、常だった。

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