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ブザービーター

 ユニフォームの裾に手のひらをこすりつける。さっきから何度この動きを繰り返しているだろう、汗は引く気配もない。喉の奥がきしんで、肺が燃えるようだ。心臓が恐ろしくうるさくて、周囲の音さえ聞こえにくい。ボールがコートで跳ねる、力強いドリブルの感触が、心地よい振動に思えた。
 第四ピリオドが始まって、残り時間はもう折り返している。点差は一点、向こうのリード。ようやくここまで来られた。うちの中学は弱小と言われ続けて、それでも死ぬ気で踏ん張って、相手にもされなかったチームの喉元まで食らいつけるようになったのだ。あとたった一点、そこまで辿り着いた俺たちの姿に、相手は気圧されている。それを肌で感じて、俺たちはさらに奮い立つ。勝てる、と。
 相手がパスをはずしてこぼれたボールに、自然と最速で、俺の手が伸びる。背と手がでかいだけの俺でも、このコートの中では武器になる。迷いなく腕を振り上げると、コートのサイドラインが視野で縮まり、世界は俺とゴールリングだけになった。
 ディフェンスの腕を越して放たれたスリーポイントシュートは無音でネットを揺らした。吠え立てる歓声。チームメイトとハイタッチをして、俺も吠えた。俺が、俺が決めた! あまりの興奮に眩暈すら覚える。
 残り時間が三分を切ったところで相手のタイムアウトが入った。俺たちの興奮は醒めやらない。このまま逃げ切れば勝てるのだ。その場に立っていることだけで俺たちは昂っている。脚が震える。我を忘れてしまいそうになるのを、必死で押し殺した。気を引き締めなくてはならない、勢いだけで勝てる相手ではないのだから。
 呼吸を整え、タイムアウトが終わる瞬間、相手チームの怒号がコートに鳴り響いた。それを俺たちは、少なくとも俺は、まともに浴びてしまった。
 ラスト二分、相手は形振り構うのをやめた。フィジカルの強みを活かして怒濤の攻めを始めた。相手のオフェンスが脇をかすめたと思うと、ゴール下での肉弾戦をものともせず、シュートを叩き込まれた。俺たちは、たった一分のタイムアウトで、形勢を逆転されてしまった。
 気持ちこそ折れてはいないが、俺たちは再び食らいつく側に落ちた。同点に並ばれただけなのに、俺はそう思ってしまった。違うのだと、逃げ切るのは俺たちなのだと言い聞かせるようにがむしゃらに駆ける。相手のオフェンスは俺よりも背が低い。しかし、鍛えられた筋肉がそれを補って余りある。まともにぶつかって、俺は派手な音を立てて転んだ。ファウルを取られたのは俺の方だった。体の痛みは感じなかった。
 フリースローを確実に決められ、二点差。残り時間は一分を切っている。反省も後悔も、試合が終わったらいくらでもしてやる。だから今だけ俺の心が折れないようにと、無心に、ボールを求めた。俺の三年間を、ここで終わらせたくなかった。
 相手の攻撃は弱まることを知らず、俺たち側のコートからボールを出すことさえままならない。ようやくボールに触れられた時、電光掲示板に光る文字が目をかすめた。
 俺は振り向きざまに、ボールを放った。シュートが指を離れた瞬間、試合終了を告げるブザーが鳴り響いた。ボールは弓形にゴールを目指す。届け、届いてくれ。そう祈りながら見つめた放物線は、今までで一番美しく見えた。
 ゴールリングの上をなぞるように、くるりとボールが回る。そしてそれは、リングの外に、落ちた。
 全身からどっと力が抜ける。相手側の歓声が、まるで遠くに聞こえた。
 最後まで決めきれない俺の駄目な手に目を落とすと、右手の薬指の先が真っ赤に染まっていた。さっき転倒した時だろうか、爪が半分割れて取れかかっていた。痛みは他人事のようで、どこが痛むのかさえよくわからなかった。
 最後のシュートを外さなければ、爪を割ったりしなければ、ファウルなんて取られなければ、気持ちで負けたりしなければ――自分の駄目なところがどうしようもなく襲いかかってきて、俺は拳を握る。強く、強く。拳は心臓のように脈打ち、とめどなく痛んだが、力を抜くことはできなかった。それはまるで戒めだった。
 俺はバスケットボールをやめない。下手だけど、下手だから、やめることはできない。だって俺は、誰よりも上手くなりたいから。やり続けないと上手くはなれないから。
 目頭が熱く燃えるほど痛くても、この手は離さない。天を仰いで肺に溜まった息を吐くと、全身の熱が、喉を焼いた。

*サイトアクセス2001hits リクエスト作品
  御題 「ブザービート」

 euko様、2001ヒット報告ならびに御題提供ありがとうございました。
 御題を聞いた時、真っ先に「まずい!」と思いました。当方、スポーツには疎いのです。
 けれど、最後に物を言うのは結局気持ちなのかな、と思いまして、こんな仕上がりになりました。
 期待に沿えているといいのですけれども。
 期待に応えられるよう、水森弐参も踏ん張ります。

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